用水インタビュー企画① 金沢市役所歴史都市推進課 土田 昌伯さん
今後の活動の参考になればと思い、用水に関わりのある人達にインタビューをして有り難いお話しを聞く企画をしていこうと思います!!
栄えある第一回目は金沢市役所 文化スポーツ局 歴史都市推進課 担当課長の土田 昌伯さんです!
なぜ用水に関わる仕事をしていますか?
土田さんは元々、企業局に14年、お勤めされた後、市役所の方に配属されました。当初は、歴史都市推進課という名前ではなく、用水みち筋整備課という名前で人数はたった4人(土木の人が)しかいなかったそうです。当時は人数が少なかったこともあり、相当残業もしたそうです。ただ、自分が考えたことが目に見える形で街の風景として残っていくことが面白かったので残業なんて全然大変ではないぐらい楽しかったそうです。
「辛い仕事も目に見える形で何十年も街の風景として残っていくなら楽しめる」頑張ったものが形として残っていくのは時間を忘れるぐらいのめり込めるものだったのではないだろうか。土田さんは主に鞍月用水の潤いの道の整備に携わり、その潤いの道の整備内容が「日経コンストラクション」に載ったそうです。今度から毎月購読していきたいと思う。
また、用水の文献を調べるために金沢市立玉川図書館 近世史料館に行ったり、様々な人の話を聞きに行ったそうです。こういった地道な努力があり、用水のことなら何でも知っている今の土田さんがいるのである。私も用水を研究するものとして近世資料館に行ってみようと思いました。
今まで働いてきた中で用水の事業に関して 大変だったことは何ですか?
修景工事を行うため用水沿いに架かっている私有橋(住宅に向かって架かっている生活用の橋)の付け替えの交渉を何回も何回もお願いしに行ったことだという。最初は橋の付け替えに反対されていた方も何回も交渉しに行くことで最後には街のためならということで分かってくれたそうです。今の街の風景は市役所の担当の方々の努力と最後には理解してくれる度量の広い市民の方々がいて、成立している。また、視察に来た人に「普通、道路は広げても狭めることはない」と言われたそうです。金沢では街の風景を大切にしているからこそ道幅が「狭くなる」のである。
今後用水がどのように使われて欲しい、または使いたいですか?
京都の下鴨神社に流れる用水のように柵がなく、子供達が用水の中で遊んでいる風景が日常になってほしいと思っているそうです。また、用水に下りるために用水沿いに付けられた階段「こうど」も今は管理用にしか使われていないが普段から様々な人が階段を下りて水に触れて欲しいそうです。ただ市役所という立場があるので様々な制約がありジレンマもあるという。この回答は私には少し以外であった、私はもちろん用水に人が落ちたりしないように安全第一なのは分かるが、もう少し人と用水が触れれるようになったりいいなと思っていたので、立場は違うが土田さんのように市役所側から同じような願いを持ってくれていることは私達が活動していく中で有り難いことである。
用水沿いのおすすめのお店を教えてください。
特定のおすすめのお店はないが、日中に金沢の市内を周る周遊バスに乗り、用水や街の風景を見て街歩きをしてそのまま夜に飲みに行くのが月1,2回の楽しみだそうです。この楽しみ方は様々な時代の歴史が残る金沢ならではないだろうか。
また、用水を道標のように使っているそうです。飲み始めは大野庄用水を辿ってお店に行き、家に帰る時は鞍月用水を辿って帰るそうです。正に金沢を楽しんでいるからこそできる歩き方である。
まとめ
よく役所はお堅いイメージがあるのかもしれない。でも、みんな色んな立場があって様々な意見があるし、誰もが悪いことをしようとは思っていない。土田さんは市役所という立場がありながら、私達がいつもめちゃくちゃな意見を言ってきても親切に最後まで聞いてくれる。このインタビューを通して、なぜそこまで親切に聞いてくれるのか分かった気がする。また、街を歩くと気が付くことがある。電柱が無かったり、急に狭くなっている道、用水沿いにポッケトパークがあったりと些細な工夫があることが分かる。こういった些細な工夫のおかげで街の「美しさ」が保たれている。金沢の街の美しさを守ってきた土田さんを含めた市役所の方々のようにこれからも誰かが金沢の美しさを守っていかなければならない。それは私達のような団体かもしれないし、これから大人になっていく子供かもしれない。
金沢にはまだ見ぬ用水の達人がいるのだろう。いつか会える日を楽しみにする。