幸福の水準を下げる。
別府に戻ってきてから1年間、廃墟にテントを張って暮らしてた。水道もガスもない。その時、自分の人生への恐怖と引き換えに自由を手にした。
どこに住んでも良くて、何をしててもいい。住所不定無職という肩書きが嫌いじゃなかった。この日本という国で誰よりも自由な存在。別名ホームレスと呼ぶ。
案外どうにかなるもので、トイレは近くの神社の公共トイレを掃除する代わりに使い、水は湧き水を飲んでた。風呂は、温泉が近くにある。そんな生活。
いままでの当たり前が無くなった。それは、逆に些細な事でも喜べるようになった。屋外でカセットコンロで炊いて食べた芯の硬い米。冷蔵庫がないので、生野菜はほぼ食べれず、日々続くシーチキンマヨ丼。猫の餌かって思ったよね笑。
でも、寒い冬に1時間もガスコンロの前で待って。ガスが寒すぎて勝手に弱くなって、お腹に入れてガスをあっためて。ケータイのライトで
、鍋の蓋を開けたあの瞬間。湯気が立って、甘いお米の香りがする。
人生で1番幸福だった。大学に受かった瞬間より、好きな子と付き合えたその瞬間より。目の前の硬い米とシーチキンマヨが入った鍋に口をつけてかきこんでるその瞬間が。
今思えばあの瞬間だけは、みんなの幸せと自分の幸せが違うのは分かってた。それでも、今目の前にあったかいご飯があることがどれだけ幸せか。これを幸福と呼ばずしてなんと呼ぶのだろうか。
あの経験があったからこそ、自分の中での幸福のレベルがぐんと下がった気がする。
今までの自分は、誰かの上に立ちたいとか、大きな事業をしたいとか。他人と比べて自分が幸福かどうかを相対的に判断していたと思う。けど今は、絶対評価で自分の幸せを考えられるようになった。当たり前の幸せって実は見えにくくて。本当の幸せは、目の前にあるって。そんな事を気づかせてくれる、廃墟生活でした。
ちなみに今は、アパートに住んでます。人間として最低限の生活を出来るだけのお金が出来たので。