おおみそか
大晦日。「年を越す」ということに対して、これほどまでに不安を感じたことはなかった。
「良いお年を」なんて簡単に口にはするけれど、どういう一年がその人にとっての良い年なるのだろうか。少なくとも、これまで20回余り迎えた大晦日のうち、その一年が「良い一年だったなぁ」と心から思えた日ことは一度もない。
当然ながら、365日もあれば良い日も悪い日もあるし、その一日一日をとってみても良いことと悪いことはやはりそれぞれある。
一年の抱負や目標、夢。年の初めに抱く自分への期待に応えることができたと、胸を張って言えたなら、どんなに素晴らしいことだろうか。
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ところで私は、「雨が好きだ」と言いたがる人が嫌いだ。
雨の音が好きだ。雨の匂いが好きだ。雨の歌が好きだ。何かと奇を衒ったように雨好きを語るが、そんなの嘘だと私は思う。
雨なんて濡れると冷たいし、大気を吸った雨水は汚いと聞いたことがあるし、気圧のせいか頭は痛くなる。洗濯物は乾かないし、作物だって晴れたほうがよく育つに違いない。
要するに、晴れより雨の方が良いなんてことはまずない。
と、ここまで訴えたところで、その“雨が好きだと言いたがる人”は晴れやかな表情でこう言った。「その通りだ」と。そして続けた。
「確かに雨よりは晴れの方が何かと都合が良い。だけど、それを知っているからこそ『雨が好きだ』と敢えて口にするんだよ。苦手や嫌いなものの中に、何か特別を探す。音とか匂いとかね、雨の日だけの特別…あとは、雨の日の思い出を作っておくのも良いよね。水溜まりで友だちとはしゃいだり、雨が美しい映画を知っていたり、雨の曲、可愛い雨傘や長靴だけでも良い。そんなこじつけや言い訳みたいなアイテムでも、身の回りに置いておくことで重たい一日が少しは気が晴れるでしょ」
青天の霹靂だった。
今年も大晦日を迎え、その一日すらも残すところ数時間となった。振り返って思い出せるだけ思い出してみても、やはりひとことで「良い一年だった」と言えるかどうかはわからない。
ただ、今日が終わる。また、今日が終わる。
たったそれだけなのに、今こうしてその人の言葉を思い出してしまうのは、自分もそのように意識しながら過ごしてきた一年だったからだろう。
「思い出はいつの日も…雨」
「長崎は今日も雨だった」
「泣き止んでみても 外はもっと雨」
「I'm laughing at clouds
So dark up above
The sun's in my heart
And I'm ready for love
雲を見て笑ってる
頭上の暗い雲を
太陽は僕の心にあるのさ
愛する準備はできてる」
(上から、
TSUNAMI/サザンオールスターズ
長崎は今日も雨だった/内山田洋とクールファイブ
今日も雨/倉橋ヨエコ
Singin' In The Rain/Gene Kelly)
色んな雨と言葉に降られ、救われた一年だった。
「おまえの中で雨が降れば
僕は傘を閉じて 濡れていけるかな」
(恋は桃色/細野晴臣)
明日の晴れに現(うつつ)を抜かしていたいけれど、今日の雨に憂鬱(ゆううつ)な誰かのために、言葉を綴ってあげられる年にしたいと思いながら、私は今蕎麦を啜っている。
読んでくれてありがとう。良いお年を。そしてまた明日。
あんらく
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