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少しだけ昔のこと
平成の初め頃の話。
大学生の頃住んでいたのは、風呂なしトイレ共同で小さな流し台とガスコンロが部屋にある6畳一間のアパートだった。2階の薄暗い廊下に3部屋が向かい合わせた計6室。1階は大家さんの住宅になっていて、2階に住んでいたのは僕も含めてみんな大学生だった。
今時の住宅のような気密性なんてまったく考慮されていないから強い風の日には窓を閉め切っているはずなのにカーテンは揺れるし、氷点下の朝には流しの洗い桶にうっすら氷が張る。冬場はとにかく寒いから灯油のファンヒータを強運転させるけど部屋が暖まるわけもなく、暖房の前でたき火にあたるようにして身体を温めてからでないと動けない。
夏場は夏場で屋根からの熱で部屋はちんちんに焦らされる。エアコンなどついてないから、日中は在宅しないことを基本にしていた。帰ったら窓とドアを全開にして扇風機を強運転し、熱気を追い出してから部屋で過ごした。比較的冷涼な土地柄なので、今みたいな温暖化が進む前だったし、夏の夜はエアコンなしでも充分快適だった。
廊下には共同の赤電話がひとつ。鳴れば在宅している誰かが電話に出て、相手を呼び出す。
「はい、△△アパートです。あ、○○さんですね、ちょっとお待ちください」
こんこん(ノックの音)
「○○さん、電話ですよー」
「あ、俺に?はーいすみません」
電話の相手がかわいらしい女性の声だったりするとその後の会話も少し気になったりしたものだ。現代ではとても信じられないような世界。
風呂はなかったから、銭湯も楽しみだった。経済的にも厳しいので毎日行けるわけもなく、二日か三日に一度。それ以外の日は部屋の流し台で園芸用のじょうろで頭を洗って、絞ったタオルで身体を拭いてしのいでいた。今ではだいぶ少なくなってしまったけど当時はまだ銭湯は近所に何軒かあったから、気分で行くところを変えたりするのも楽しかった。また冬場の話になるけど、帰りにのれんをくぐってから部屋に歩いて帰り着くまでに、髪の毛がすっかり凍ってかちこちになってしまうのは、少しも不快ではなくてむしろ毎回楽しみに思えてしまうくらいだった。
もちろん当時でもきちんとしたアパートやワンルームマンションは存在していたし、学生の主流は小綺麗な住まいにとっくに移っていたけれど、僕はあえてこの貧乏暮らしを選んだ。本や音楽など趣味にお金を使いたかったのもあるし、家賃のためのバイトに追われるくらいなら、住まいなんてどうでもいいから自分のための時間が欲しかった。そしてそれよりもなによりも、この不便な日常を苦労して工夫して乗り切っていく生活が楽しくてとても愛おしかった。あの部屋で、なんだか無限とも思えるくらいたくさんの時間があった学生時代に、思索し迷い悩み、多くの書を読み学び、友と長い時間を過ごした日々は間違いなく僕の礎であり生きていく支えになっている。
ほんの少しだけ昔のことだ。