思案中:小説を書くこと(3)
You Shunです。
さて、小説で書くこと(1)で書いた、
頭にある、二つのストーリー。
その2つ目。
これは、一年半前に他界した父と
最期に一緒に見た世界。
(書き終わった後、追記しています。
怖い話は何もありませんが、私自身、書き始めよりも、少し、奥を掘り過ぎたかもしれない。長いし重いです。
ごめんなさい。望まれない方は、読まずに飛ばしてください。)
色々病があった中で、全く予期しなかった病。
おかしいと、父が自分が言い出して、病院へ行き、検査結果が出て、天に登るまで、たったの20日余り。
この20日間は、私にとっても、胃はここからここまでだと分かり続けたし、
初めて、辛さで嘔吐を催したし、泣くものかと歯を食いしばりながら、止まらない涙を流した。
食事をしようとして、一口も入らない。
ほぼ、数日の余命宣告の中、治療の道を探した時、父が言った言葉
「これから俺が言うことを、書き留めてくれ」
この言葉の後、父が口にした一言一句、私と家族で、ノートに書いた。
薬で、幻覚をみた様子も。
父は、セカオワが好きだった。
ファンクラブにも入り、ライブにも行っていた。
今から思えば、私も一緒に行けば良かったけど、子育てを理由に、冷ややかにみていた。
父が最後に聞いた2曲は、セカオワと宇多田ヒカルだった。この二組は、見えている世界が違うよと言った。
病院の個室に移り、セカオワの曲で足を動かす父の動画は、今も残っている。
何度もか見ているが、まだセカオワの何の曲かは、まだ見つけられていない。
父は治ると信じていた。
私も信じていた。
最後の病院に移動する救急車で、
酸素マスク越しにいった。
「俺の言うこと、メモしてくれてるか?」
私は大きく頷いた
「俺は、治ったら、さおりちゃん。」
息苦しさの中で、父が言った。
不完全な言葉だったけど、
私にはすぐに、セカオワの藤崎彩織さんの書いた、小説『ふたご』の事を話しているとわかった。
「さおりちゃんみたいに、小説が書きたいんやんな?」
父は大きく頷いた。
私は、家族と交代で付き添いをした。
生きている父を、目に焼きつけた。
見るのは辛かった。でも、目を背けなかった。
この3日後、父は旅立った。
父の最期を見た時、少しホッとした。
父が幸せな顔をしていたから。
おかしいけれど、あぁ良かったと思った。
父は生きていたし、父は生き切った。
ノートには、父が語った、死後私達が必要とする情報とともに、数えていないが、5つに足らない、父の書きたかった小説のカケラが残っている。
このカケラは、まるで暗号のようだ。
もし、この暗号で小説が書けたら、生前も知り得なかった、父の世界を、覗けるかもしれない。
まだ、『ふたご』ですら、読めずにいる。
この記事を書きながらも、知らず涙がでる。
少し癒え始めた、私の心の傷口をそっとしておきたい。
でも、父に会いたくて会いたくて、
仕方ないこの気持ちは、
何度も、父のノートを開かせる。
父の想いは、小説にしたい。
でも、数語の暗号は、私にはまだ見えていない世界。誰か書いてくれたらいいのに。
そう思うと、とても強く思い言葉が胸に響く。
私じゃ無いと意味がない。
少しずつ、向き合おうと思う。
お父さんが、大好きだった。
どんな時も、私の味方でいてくれた。
私の言葉に出来ない思いを、言葉にして教えてくれた。
私の才能と可能性を、信じて応援してくれた。
私の行きたい場所に、連れていってくれた。
欲しいものを一緒に楽しんでくれた。
悩んでいたら、いつも側で私の答えを一緒に探してくれた。
私の喜ぶことを、探してきてくれた。
とにかく、いつも面白くて、楽しくて、ワクワクした。
父も、いつも何かを探していた。
父が亡くなり、過去形で言うのが辛すぎた。
そうだ、お父さんが大好き。
好きな気持ちまで、過去形にすることはない。
会えるはずはないと分かっているけれど、
父に会いたい。
お父さんと会いたい。
【後記】
読んでくださった皆さま、ありがとうございました。言葉にしたら、こんなに思いが溢れてきました。
言葉にする途中は、とても辛く、えぐる感覚がありました。後半は、私は涙が止まらなかった。
でも、書き終えたら、心には、大好きな父を思う、穏やか気持ちが残りました。
ご両親がおられる方は、どうぞ生きて共にある時間を、大切にお過ごしください。
そして、天国におられる方は、少し思いを馳せてみてください。
最後まで、お読みいただき、ありがとうございました。
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