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人知れず 寂しく亡くなった、もう一匹の忠犬ハチ公を、皆さんに知って頂きたく・・・

名犬の話は色々あるが、それこそ名犬ハチ公に因んで名前を付けた、私のハチも間違いなく名犬だったと思います・・。


小さい頃から、母親に反対されながらも、何匹も子犬を貰って来ては、飼っていました(実際に面倒をみたのはすべて母親でした)が、中学3年の時に亡くなったその犬以来、動物を飼う事はなくなりました。

その犬との出会いは、六匹いる子犬の中で、何故だかガタガタ震えながら、私をジーッっと見つめる、その真ん丸い大きな目に思わず、そっと抱き上げて顔を近づけました、すると今度は目を合わせてくれない、目を外らした方に、顔を持って行くと、逆に外らす、また目を合わせようとすると、逆に外らすという、その繰り返しを続けていたら、オシッコを漏らされてしまいました。

 それが何とも可愛く思えたのでした。

段ボールの上に戻すと、また小刻みに震えておりました。

友達からは一番最初に選んでいいよと 言われたので、早速 見に来たのですが、お袋をまだ説得していなかったので、この日は一匹は必ず貰うから、と言い残して、取り敢えず帰ったのでした。

すると翌日、友達から、あれから近所の人や友達が来て、大変だったらしく、もう一匹しか残っていないけど、どうする? という連絡が入ったのでした。

 私は残り一匹と聞いて、少し焦りを感じながら友達の家に向かったのですが、その焦りはもしかしたら、昨日気になっていたあの小犬が、誰かに貰われたかも知れないという気持ちが、心の何処かにあったからではないかと思っています。

着いて直ぐ、段ボールの中を覗き込むと、そこにはあの小犬だけがポツンと寝ておりました。

正直嬉しかったことを覚えています。

やはり、弱々しい小犬だったので、他の人は避けてくれた様です。

家に連れて帰ると、お袋の前に、両手で小犬を包み込む様に持ちながら、「可愛いだろう・・」と顔を近づけました。

まだ小犬を貰う話はしていなかったので、「え・また?」と少し嫌な顔をしましたが、「今度は、ちゃんと自分で面倒みなさいよ!」と小犬の頭を撫でて、仕方がないというな表情で部屋を出て行きました。

最初に飼った犬は、野生のエルザからエルザと、次の犬はジャングル大帝レオからレオと名付けていましたので、この犬の名前は何か・・・と考え始めて・・直ぐ浮かんだのは、忠犬ハチ公でした。

なので、仔犬の耳元で、「今日からお前はハチだぞ〜」と、伝えました。


これまで飼っていた2匹の犬は、当時はさほど問題にならずに、殆ど放し飼いにして飼っていましたので、2匹とも運悪く車にひかれて、命を落としていたのでした。

そこで考えたのは、ハチが事故に遭わない様にとの思いで、1歳位に成った時に、覚えてくれるかどうか分かりませんでしたが、信号のある所や、以前の飼い犬が事故にあった場所に連れて行って、
取り敢えず、訓練を始めました・・・。

最初に右に顔を向かせて、車が来ると ダメ!・・・来ないと 良し! と教えて・・・それを繰り返した後、次に左に顔を向かせて、同様の事を繰り返しました。


その後は、左右を連続で確認させて、車が両方こなければ、良し、良し 行け! と、少し押し出す様にして、一緒に道路を横断しました。
それを何度も繰り返したのでした。


信号のある所でも同様に、歩行者用信号が赤だと・・ダメ!、青になると良し!と言って、道路を渡るタイミングを教え込みました。


それは、たった1日でしたが、割と根気強く教えた記憶があります、その後のハチが、それを理解していたかどうかは分かりませんが、幸い事故に合うことはありませんでした。


それから2年が過ぎて、私とハチの日常はと申しますと、私が学校に行く時に、決まった場所まで着いて来て、私が手の平を向けると、来た道を戻って行きました。

そして、夕方近くに私が学校から帰って来て、玄関にトンとカバンを置くと、それを合図に何処からともなく現れて、尻尾を振りながら、嬉しそうに迎えてくれるのでした。


そんなある日、いつもの様に学校から帰ると、何処から持って来たのか、ボールを咥えてやって来て、私の足元に転がすと、尻尾を振りながら軽く吠えて見せるのです。

 今まで見せた事がないリアクションに、少し戸惑いましたが、そうか! ボールを投げろという事なのかと、暫くして気付いたのですが、部活で疲れていたので、いつもの様に頭を撫でて、軽く抱きしめた後、ボールをハチに咥えさせました・・・ そして フッと浮かんだのは、近所の人に可愛がられているのは知っていましたので、誰かが教えたんだな、と思いながら・・・ボールを咥えたまま私をジーッと見ている、ハチをそのまま残して ジャーなと言わんばかりに、手を振って部屋の中に入って行ったのでした。

意地が悪かったんですね、それともその誰かさんに 少しヤキモチがあったのかも知れません。

 2・3回ぐらいでも、ボール投げをしてあげるべきだったと、今更ですが後悔をしております。

誰かに、教え込まれたボール投げ・・・
息を弾ませながら、私の顔を見上げていたハチは、きっと その覚えたての遊びを私と遊びたかったんだと・・・。

私は正直に言いますと、仔犬の時はメチャクチャ可愛いいので、それこそ休みの日などは1日中傍を離れない、という位夢中なんですが、、成犬になってしまうと、殆どお袋任せにする様な、そんな飼い主としての自覚の無い、無責任な子供だったと思っています。

ですから、当然前の2匹の犬は、お袋に懐いていましたし、近所のおじさんの方が余っ程可愛がっているので、尻尾の振り方は、ハッキリと私よりも大きかったように思いました。


しかし、ハチは今までの犬とは違っていました、こんな私でも飼い主と認めているのか、他の誰よりも私に声を掛けられるのが嬉しい様で、全身で喜びを表現してくれます。

それを見ていたお袋が、「ほんとに、何にもしないのに、アンタの事が好きなんだね〜、頭の良い犬なのに、分かってないんだね 」と、面倒みているのは
私なのにと言わんばかりに、少しヤキモチを焼きたくなる位なのでした。

そんなハチでしたが。。。

12月に入った、割と暖かい日曜日の昼過ぎ、昼食を食べていると、開いている居間の障子の間から見える、裏路地の向こうに、ハチがゆっくりと歩いていたので、「 ハチー 」と大きい声で呼びながら、箸で摘んだソーセージを揺らして見せました。いつもだと尻尾を振りながら走り寄って来て、投げたソーセージを食べるのですが、その日は暫くこちらをジーッっと見ていたかと思うと、力無くゆっくりと尻尾を振って、角に消えて行ったのでした。

ん? 今日はお腹がいっぱいだったのかなぁ、と思っただけで、その時はそんなに気にもしませんでした。


しかし・・・ハチの姿を見たのは、それが最後となってしまいました。


次の日の朝から、姿を見せなかったので、事故かも知れない、と心配しながら
学校の帰りに、居そうな場所を探してみましたが見つからず、また犬が車にひかれたという話も聞きませんでした。


この日は、ハチが居なくなって1日目でしたが、何だか非常に疲れていたので、少し早めに横になりました。


すると翌日の朝、何とハチが戻って来たんです、元気に・・・。

いつもの様に、全身で喜びを表現するように尻尾を振っているんです。

嬉しかったです・・・、そしてまた、あのボールを咥えて来て、この前同様、私の足下に転がしたんです・・・。

今度はさすがに、元気に戻って来てくれたという嬉しさで、遊んでやろうと、早速 外に出たのでした。

そして、どれぐらいボール投げをしたのか分からない程、遊んであげました。

次に初めてハチにリードを付けて、散歩をしました・・・、何処に行っていたんだ・・・、何食べていたんだ・・・などなど、色々と聞かずにはいられず、私は一方的に話し掛けていました・・・ハチは ただ嬉しそうに初めての散歩を楽しんでいるかの様に、見えました・・・。

・・・・・・・・・・・。

しかし、それは・・・
夢でした・・・。

嬉しかっただけに、喪失感と言いようの無い寂しさで、胸が熱くなり涙が出ました・・・・・・そして、ハチはもうこの世には居ないのだと、何故だか感じました。

それから、この日を含めて3日間、ハチの夢を見続けたのでした。

そして、ハチが姿を消してから4日目になり、探すのを諦めていたお袋が、学校から帰って来た私に、涙目で「ハチを見つけたよ・・・」と、言って来たのです
 ・・「え、何処で・・・」と、驚いて聞く私に・・・、お袋自身もまだ信じられないという様に、顔を2・3回横に振りながら、「・・・ビックリしたよ・・・」と声を詰まらせながら、その時の事を話してくれたのでした。

それは、昼を過ぎた頃にお袋が、家の前を掃除していると、隣の家のブロック塀との間が約60cm程開いているのですが、どうやら、そこから何か かすかに腐敗臭がしたらしいのです。

 その時にお袋は、少し嫌な予感を感じたらしいのですが、その匂いがする方向に近づいて行ったそうです。
 2mぐらい進んで、家の床下を覗き込んで見ると、そこから1mぐらい奥の所に、今度は幅1m、深さ20cmぐらいのすり鉢状の穴が掘ってあって、何とそこに
・・・・・ハチがこちらの方を向いて、
横たわり、息絶えていたとの事でした。

お袋は、思わずその光景に息を呑み、泣きながら手を合わせたそうです。

改めて、痩せ細ったハチの亡き骸を見て、これで自由になれたね!と小さく呟いた時に、首輪をしているのが、何とも不憫に思えて、首輪を外してあげたそうです。

 その後に、回りに掘り出されてあった土をハチに被せて、埋めてあげたそうです。

 本当に土を被せるだけだったから、楽だったよ、と何度も言っていました。

お袋から、これで自由になる様にと首輪をはずしてあげた、と聞かされた時点で、私はたまらず、その場所に向かっていました。

教えられた場所の床下を、屈みながら覗くと、土が少し盛り上がった所に、くたびれた首輪と線香の燃えカスが2・3本 跡になって残っていて、その傍にあった、半分空気が抜けかけた、薄汚れた白いボールを見つけた時、ハチの3年という、余りにも短い命の儚さを思い・・・涙が止まりませんでした。

私が飼い主としての、最低限の責任感と愛情があったなら、病にも早く気が付いてやれたのかも知れません・・・。

子供であっても、死期を悟った犬が、飼い主に 少しでも迷惑を掛けまいとして、自分で穴を掘って、そこで息絶えていたという衝撃の事実は、動物をある程度軽く見ていた私にとっては、動物にもそういう頭があり、寂しさや、喜びなど色んな感情があり、それはまったく自分と同じなんだと、気付かされてショックだった事は間違いありません。


あれから数日が過ぎ、12月も中旬になりましたが、私はクリスマスが近い事を、すっかり忘れていました。久し振りに聞いたジングル・ベルが、何とも物悲しく感じたのを覚えています。

 ハチの最後を知ったご近所さん達が、あの狭い場所にも関わらず、小さな花束を添えて、線香をあげてくれました。

可愛がられていたんだなぁ・・・と、改めて感じて・・・少し救われたような気がしました。


そして思う事は、私という無責任な人間は、犬に限らず動物を飼ってはいけない人間である、という自覚でした。

※これはイメージです。


私が言うのも何ですが、
動物は、飼い主にその一生を委ねるしかありません・・・。

ハチのように、どんなに利口な犬でも、幸せになるか不幸せになるかは、飼い主次第なんです・・・。

だから、動物を飼う事の責任と覚悟がなければ、絶対に飼ってはいけないのだと思いました。


・・・・・・・・・・・・・・。

因みに、あの賢いハチには、私はどう見えていたのでしょうか・・・・・。

寂しい思いばかりさせていたので
冷たいと思っていたのかも知れません

ですが、こんな無責任極まりない飼い主の私であっても・・・・・。

ハチは最後まで忠を尽くしてくれました。

そんなハチでしたから・・・

あれから何年経っても、私自身も気付いていませんでしたが、心の奥底では、ハチを忘れられないでいたからでしょうか、あれ以来動物を、特に犬を避けるようになっていました。

そのせいで、大人になってから、周りからはアイツは動物嫌いだから と云われるようになってしまいました。

あの頃は、自分は動物を飼ってはいけない人間だと自覚していたので、そういうオーラが出ていたのかも知れません・・・。

本当は決して動物嫌いではないのは確かなんですが・・・・・。


それは、何故かと言うと、今でもハチに会いたいと、切に願っているからです・・・。


そして、ハチのことだから・・・

きっと・・・

虹の橋のたもとで、私の事を待っている

様な、そんな気がしてなりません・・。
    


それを、楽しみにしています・・・


※次回の記事は、近日中に!



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