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【故 渡辺恒雄氏から学ぶこと①】


年末年始から今日まで、渡辺恒雄氏の30代の処女作や、NHKの単独インタビューに応じた回顧録を読み、学んだことを、適宜、何度かに分けて綴ってみたいと思う。

書き始めるにあたり、まず渡辺恒雄氏が政治に対し、どのようなスタンスだったかを述べておかないとならない。渡辺氏は、軍部の偏狭な組織性を嫌い、戦後共産党に入党するも、個人の主体性を重んじない共産党は軍部と同じであると激しい批判を加えて、除名されている。

このため渡辺氏は、戦後の政治において、革新勢力よりも、自民党の源流となる保守政党や自民党が、二度と戦争を起こさない民主的な政治を行うことを期待、注視し続けてきたと感じる。

また、渡辺氏は「党人派」の政治家を好んだとされているが、なぜかというと、戦中、政党が軍部の干渉や世論に押されて政党政治を自ら放棄するに至ったこと。また、藩閥や財閥、大物官僚が戦前は貴族院などを通じて政治家となっていたこと。戦後も選挙を経て大物官僚出身者が国会に入り強い影響力を持っていたことに大いなる疑問を感じていたようだ。渡辺氏は、戦前の統制的な政治ではなく、民主的な政治を実現するためには、政党が役割を果たすこと、そのために党人派の政治家が活躍することを期待したようだ。

党人派の政治家とは、渡辺氏の思うものと現在のものでは異なる部分もあるかもしれないが、誰もが意識する閣僚ポストなどよりも、ひたすら党務にその能力を傾注する政治家ではないかと私は考えている。

そして、渡辺氏は、保守政党や自民党が民主的であるためには、派閥は必要悪だが不可欠であり、さまざまな政治家集団が意見をぶつけ合い、権力闘争を繰り広げる、一見ごった煮、統制が取れないような政治情勢の中で、派閥の切磋琢磨によって民主的な党運営、政治がされることが必要と考えていたようだ。そこには、政治は人の営みであり、民主主義とは、異なる正義がぶつかり合い許容し合う、合理や効率とは距離を置いたものであることを深く認識していたと思われるし、何よりも戦中の翼賛体制に対する強い批判、反省が、保守政党に民主的政治を強く求めたものと思われる。ここは、現在においても、政治に、合理性や効率、一面的な正義を求める声と激しくぶつかるところではあるが、公正な社会の実現のために、渡辺氏の考えは必要不可欠であると私も思う。

時代が異なるとはいえ、渡辺氏の考えには、今の政治、特に自民党に必要なもの、また現在の自民党が当時から継承してきた仕組みなどが明示されていて、これからのことを考える上で、学ぶべきことが非常に多いと感じている。(②に続く)

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