人生の100のリスト -ロバート・ハリス- 潜在意識が書き換わるリスト作成-No7-その1
両家の両親に一生忘れないような親孝行をする。
この願望は両家の両親が元気であるうちに実行しなければ意味がないのだが、
実は妻の実家の義母が、2年ほど前から認知症で要介護認定5となっており、
自宅手にはいるが介護生活となってしまっている。
既に、会話するのもが難しいし、
孫と、娘である妻は認知できているときがあるが、おそらく個人的には認知されていない。
義父はまだまだ健康ではあるが、70歳を迎えながら妻の介護生活で精神的に疲弊はしている。し、24時間つき添って介護しているため、体力的にもかなり消耗している。
そんな状況でなにができるかといえば、
正直、むずかしい。
介護を手伝う。というのは、
やったことのない人が簡単に口にできることではない。
実際にそれをしに行ったことはあるが、全く歯が立たなかった。
なんといっても『義母』である。
そもそも血のつながりはないし、もともとは他人である。
もちろん、妻と結婚してからは、
随分、お世話になったし、かわいがってもらっていた。
孫の誕生も祝福してくれたし、愛情を注いでくれた。
とても感謝している。
できれば、元気に長生きしてほしいと願うばかりだ。
しかし、
そんなしっかりとしていたころの記憶が新しいだけに、
ギャップはしっかりと感じてしまうし、
異性というのもあるのだろうか。
下の世話とか、着替え・入浴。
このへんは、どうしても作業内容として受け入れられない。
介護者としては完全に失格である。
さらに、話し相手になろうにも、
なかなかそれも難しい。
もはや、話す内容は意味不明なことが多いのである。
大きな愛情がなければ会話は成立しない。
行動に関しては、もっと意味不明だ。
ほぼ寝たきりとはいえ、自力で歩行もできなくはない。
多動症というのだろうか、とにかくじっとしていたれない。
常に動きたがるわけだ。
ちょっと目を離したスキに、42インチのTVが倒れてきたりする。
まったく理解できないし、説明がつかない。
正直、赤ちゃんと違って、かわいいとかいう感情もわかない。
それに時間の感覚がないから、深夜だろうが朝方だろうが
なんでも起こりえる。
いきなり外に出ていこうとするのは、もはや普通である。
それをコントロールしようと健常者がすれば、
完全にこちらが負けてしまう。
介護者との向き合い方なんてのは、知識や経験と
愛情がないとできない事を実感した。
夏に娘と数日間、介護の手伝いに行ったのだが、
現実を把握するのだけで精一杯だった。
ほとんど何もできずに時間だけが過ぎていった。
小6の娘も、まったくゆうことを聞いてくれないばぁばに、
ショックを受けてしまい、泣いていたほどだった。
とはいえ、義理とはいえ母である。
妻にとっては、代えの利かない母であり、
娘にとっても、ばぁばである。
何かできることはしないとな・・・
車いすの乗降者の手伝い。
家からかってに出ていかないように、
内側からの施錠ができるようカギの取り付け。
あとは、日ごろの介護で消耗してしまっている、義父の話し相手ぐらいだ。
そもそも、介護施設に一度は入っている。
しかし、施設側の対応で義父が異を唱えてしまう。
介護者の感情を落ち着かせ、暴れたりするのを未然に防ぐ薬があるのだが、
その投薬を断ったのがきっかけ施設側との関係が悪化するのだ。
義母の感情を薬でおとなしくするというのが、納得できなかったらしいい。
それがきっかけとなり、施設従業員からも介護しにくい介護者となってしまう。
もうそうなると、介護する側もされる側にも
どちらにもストレスとなり、
ついに義父が連れて帰り、自分でやると言い出したのだ。
自分の口からは何も言えなかった。
実際に義父の義母にたいする愛情は大きい。
半世紀近く連れ添い、
良い時期も辛い時期も、ともに乗り越えてきた歴史がある。
ここ10数年の付き合いでしかない自分からは
その意見を尊重し、可能な限り協力するとしか言えなかったのだ。
そんな生活環境のなか、
我が家が経済的に苦しい状況となりつつあるときに
お金の面でかなりお世話になったときがある。
仕事もままならない現状で、親のすねをかじってしまったことは
今でも感謝してもしきれない思いである。
この先、どれぐらいこの介護生活がつづくのかは
まったく計り知れないのだが、なんとかして親孝行をしたいと思っている。
何ができて何ができないのかが、ハッキリさせることが難しい。
親孝行とは、
そもそも何が親孝行なのかを考えるところからはじまってしまう。
そしてその答えはまだ出せない。
旅行や食事。物欲を満たすようなことではないのかもしれない。
妻の実家に関しては、家族で話し合いながら、
いま、やれることをやり、積み重ねることで
気持ちを伝えるしかないのかもしれない。
chiaki でした。