OKINAWAN ENTREPRENEUR 〜僕がスタートアップをする理由〜 下
エッセーの「上(プロローグ〜第3章)」はこちら ↓
第4章:沖縄とサトウキビ
第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約によりドイツは多額の賠償金を支払うことになったが、その他ヨーロッパ列強も早期の経済復興に迫られた。嗜好品の砂糖は世界的に需要が高まっていたものの、主要な生産地であったヨーロッパからの出荷が激減したことで砂糖の国際価格は高騰していった。それに乗じて、1894年の日清戦争からその存在感を高めていた日本でも精糖が盛んになっていく。
沖縄も例に漏れず、価格が高騰した砂糖で生活水準を上げようとそれまで主食である米や芋を栽培していた農家もこぞってサトウキビ栽培に転作していった。台風の多い沖縄では、強風でも倒れず、栽培に手間暇かけないサトウキビは他の農作物より楽なのは今も昔も変わらない訳だが、悲劇はここから始まる。
大正後期〜昭和初期にかけ、ヨーロッパ諸国の経済回復に伴い、バブルの様相を呈していた砂糖の国際価格が落ち着き始めた。当然、沖縄では徐々に農家の収入が減少し、結果的に多くの県民が食べるものに窮する事態になった。米や芋といった主食が圧倒的に足りていなかったためだ。
これら作物の植え付け〜栽培〜収穫までには相応の時間を要することから、多くの人々が「ソテツ」という植物の実に含まれるデンプンに栄養を求めることになった。
このソテツだが、家畜ですら食べない。毒抜きが非常に難しいのだ。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%86%E3%83%84
多くの沖縄県民が飢餓やそれに伴うソテツが持つ毒の摂取によって亡くなったことで、一連の飢饉は「ソテツ地獄」として現在でも沖縄で語り継がれている。
時を経て第二次世界大戦。少なくとも沖縄県民の4人に1人が亡くなるほど壮絶な地上戦が繰り広げられた。第一次世界大戦は間接的に、第二次世界大戦は直接的に、多くのウチナーンチュが命を落とした。二回の世界大戦はこの島に禍根を残し、そしてその影響は現在も続いている。
沖縄県の農業生産額910億円のうち、サトウキビは187億円と畜産に続いて2位と、長きにわって本県の主要農作物である。
しかし、1ヘクタールの作付面積あたり生産額は140万円と、他の作物(パイン:420万円、菊:800万円、野菜(統計の関係でゴーヤーとへちま除く):640万円))に比して低い水準にある。作物毎の労働費を確認できなかったため労働ベースの生産性は算出していないこと、畜産は肥育面積の統計がないため厳密な生産性の比較をしていないことは留意すべきだが、サトウキビの作付面積13,800ヘクタールは他の作物と桁が1〜2つ多い水準だったことを踏まえるとその生産性が著しく低いことは認めざるを得ない。
* 「統計データで見る沖縄の農林水産業」内閣府沖縄総合事務局
https://www.ogb.go.jp/-/media/Files/OGB/nousui/statistics/gaiyo-tiiki/toukei_2210.pdf
第5章:未だ続く「戦後」
実は、沖縄は第二次世界大戦からの復興支援の名目で高速道路は他の都道府県より割安になっている(そのため正式名称は沖縄自動車道になっている)。
更に、泡盛メーカーを守るために酒税は未だに減免されており、意味不明だがその減免がオリオンビールにも適用されている。
また、1975年の海洋博覧会や2000年のG8サミット開催が国内の米軍基地負担が沖縄に集中していることや米軍人の度重なる重犯罪(殺人、強姦、強盗)に対する県民感情への配慮も一因だったと言われている。
確かに、1972年の本土復帰から、政府系金融機関の沖縄振興開発金融公庫(僕の前職)が日本政策金融公庫とは分離して設置・運営されており、根拠法の時限延長では常に「沖縄の特殊事情」や「戦後復興」が理由に挙げられてきた。
戦後生まれ・戦後育ちの多くの世代は、正直なところその妥当性に疑問を感じ始めているのが現実だと思う。ここまで特別扱いを受けていると、OIST やMICEの誘致も少なからず政治的誘因が働いたのではないかと思ってしまうのも無理はない。
「沖縄から貧困がなくならない本当の理由」という書籍があるが、生粋の(https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334044794)
ウチナーンチュとして著者の指摘は非常に耳が痛かったのを今でも覚えている。
こういった「特別扱い」は、必要性が薄くなってもその維持が目的となり(つまり終了させることで失う便益が機会費用になり)、社会全体で享受する既得権益に姿を変えて沖縄を沖縄たらしめている根本的な要因になっているような気がしてならない。
いまだに、僕らの島は「戦後復興の最中」なのだろうか。もしそうなら、いつになれば、どうやったら、特別扱いを受けなくてもいい「自立した沖縄経済」を達成できるのだろうか。
第6章:外圧の奏功 〜オリオンビールの事例から〜
ここで少し、私が大好きなオリオンビールの話をしたい。
沖縄を地盤とするこのビールメーカーは、具志堅宗精によって1957年に名護市で創業された。
1959年から「オリオンビール」の名称を使用するようになり、2002年に大株主でもあったアサヒビールの傘下に入った。
そして2019年、野村ホールディングス傘下の野村キャピタル・パートナーズと外資系投資ファンドのカーライル・グループのTOB(株式公開買付)によって買収された。
私はオリオン再盛が楽しみだったが、「外資にウチナーの魂を売った」という厳しい声を聞いたのも事実だった。あれから5年が経とうとしているが、結果はどうだったのか。
非公開化されたため有価証券報告書による詳細な経営状況は確認できなくなったが、新商品の投入頻度は半端なく上がり、伊江島産小麦や名護市のシークァーサーを使用したビール、クラフトビールの75ビール(ナゴビール)の高い人気は日頃生活をしている中でも肌で感じている。
プロ経営者を2人招聘(1人は一身上の都合で退任)した他、今年4月までCMO(最高マーケティング責任者)を務めた吹田龍平太氏を採用した効果は大きかったと言える(氏は、コカ・コーラ、モエヘネシー、ダイソンでマーケティング責任者を務めた他、ゴディバでは商品企画の責任者も務めた)。
買収当時は5年で再上場を目標にしていたが、再上場時の企業価値は買収当時より確実に向上しているだろう。
アウトサイダーを入れたことで沖縄の名門再盛に貢献した好例として認知され初めており、今後新たな社会的インパクトを生み出すきっかけにもなるかもしれない。
「世界を変えるのは3種類の人間しかいない。よそ物、若者、馬鹿者だ。」
という格言があるが、カーライルや野村という、僕らウチナーンチュからしたら「よそ者」である彼らが、何かを確かに変えようとしているのだ。
第7章:僕がスタートアップをする理由
僕は何者だろうか?
少なくとも沖縄ではよそ者ではない。
28歳を「若い」と言えるかも怪しい。
馬鹿者になる必要がありそうだ。
ピーター・ティールの「0 to 1」にあった「あなたしか気づいていない真」は僕にとって、「現在の沖縄にリーディング産業はない」ということだった。いかにも世間知らずの馬鹿者が言いそうなことだと感じている。
だが、かつて万国津梁交易で栄えた琉球王朝には、リーディング産業として日本標準産業分類でいうところの貿易業があったが、残念ながら現在は見る影もない。観光業は農業でいうサトウキビと同じように、収入は低く生産性も低いことが長年課題にあげられながら一向に改善の兆しは見えない。
そんな沖縄で真に求められている人財とは、実は政治家でも公務員でもサラリーマンでもなく、サンエーやセルラーより大きい会社(=企業価値で約1700億円)を10年くらいで作り上げる新進気鋭の起業家ではないだろうか?
戦後沖縄の復興を支えた政治家・瀬長亀次郎が現在の沖縄にいても、那覇市長や衆院議員にはならず、起業家になっていたと僕は思う。彼は誰よりもウチナンーチュを想い、ウチナーンチュであることを誇りにし、身を挺して現代のウチナーンチュが享受している平和な沖縄の大部分をもたらしてくれた偉人である。
50年後、ウチナーンチュが語る「私たちが享受している○○」は、きっと現代の起業家がもたらす大きな経済効果によるものだろう。
僕はGoogle や Apple が存在しない世界には戻りたくないが、そう認識される企業を沖縄から生み出せたらどんなに面白いかと、考えるだけでワクワクする。そのワクワクは時に、行政や銀行に理不尽な対応をされた時にも自ら反骨精神をくすぐりパワーを生み出す源泉になってきた。
エピローグ:
このエッセーは「嘘をついているのではなく、早すぎる真実を述べている」というシリコンバーの格言に沿って執筆した。
僕がOKINAWAN ENTREPRENEURとして成功すれば価値のあるエッセーだが、失敗すれば非常にカッコ悪い一種のデジタルタトゥーの様相を帯びてくる。
それでも、低賃金や子どもの貧困といったこの島の深刻な社会課題は、起業家が顧客課題の解決を通して社会に還元していく便益によって大きく軽減又は解消される可能性があると信じているので、自分の想いを言語化しておくことにした。
現状維持が退化である昨今、その現状維持が既得権益になりやすい官公庁や大企業にこの島の行方を託すのは非常に大きなリスクを孕んでいる。そのことを踏まえると、スタートアップこそ沖縄経済が桁違いに発展する唯一のきっかけであり、僕が生まれ育った沖縄の将来に不可欠な要素であり、個人的なリスクを負いつつも社会的なリスクを軽減する魅力的な手段になっているんだと信じている。
だから、僕はスタートアップをすることにした。
2023年は大変お世話になりました。
2024年もよろしくお願いします。
ユアトリー株式会社
代表取締役 CEO
上原 宇行(ひろゆき)
OKINAWAN ENTREPENEUR 〜The Why I Do a Startup〜 Part II
The Part I , Prologue ~ Chapter 3, is below.
Chapter 4:Okinawa and Sugarcane
After World War I, the Treaty of Versailles obligated Germany to pay substantial reparations. Other major European powers were also pressed for early economic recovery. While there was a global increase in demand for the luxury good sugar, shipments from its main production areas in Europe drastically decreased, leading to a surge in international sugar prices. Japan, which had been increasing its presence since the Sino-Japanese War of 1894, also began to thrive in sugar refining.
Notably, in Okinawa, farmers who had previously cultivated rice and potatoes as staple foods started to switch to sugarcane cultivation, hoping to improve their living standards with the soaring sugar prices. In typhoon-prone Okinawa, sugarcane was preferred as it could withstand strong winds and required less labor and time to cultivate, a convenience that remains unchanged to this day.
However, tragedy began as the economies of European countries recovered in the late Taisho to early Showa periods, causing the bubble-like international sugar prices to stabilize.
Consequently, incomes of farmers in Okinawa gradually decreased, leading many residents to face a dire shortage of food, particularly staples like rice and potatoes. Due to the time required to plant, cultivate and harvest these crops, many people turned to the starch in the fruits of the 'sotetsu' (cycad) plant for nutrition. This was despite the fact that even livestock would not eat sotetsu, as it is extremely difficult to detoxify.
Many residents of Okinawa Prefecture died from starvation and the intake of the poison in sotetsu (cycad), leading to the famine being remembered as the 'Sotetsu Hell' in Okinawa even today.
Over time, during World War II, fierce ground battles unfolded in Okinawa, resulting in the death of at least one in every four residents.
World War I indirectly, and World War II directly, led to numerous deaths in Okinawa. Both wars have left a lasting impact on the island, and their influence continues to this day. Sugarcane is a major crop in Okinawa, ranking second after livestock in agricultural production, with a value of 18.7 billion yen out of the total agricultural production of 91 billion yen.
However, the production value per hectare for sugarcane is only 1.4 million yen, which is low compared to other crops (pineapple: 4.2 million yen, chrysanthemums: 8 million yen, vegetables (excluding bitter melon and loofah due to statistical reasons): 6.4 million yen). It should be noted that the productivity based on labor has not been calculated due to the unavailability of labor cost data for each crop, and that a strict comparison of productivity in livestock is not possible due to the absence of statistics on breeding area.
However, considering that the area cultivated for sugarcane is 13,800 hectares, which is one to two orders of magnitude larger than other crops, its significantly lower productivity is undeniable.
Data is coming from below (Japanese only).
https://www.ogb.go.jp/-/media/Files/OGB/nousui/statistics/gaiyo-tiiki/toukei_2210.pdf
Chapter 5:The Continuing 'Postwar' Era
In fact, Okinawa has more affordable expressways than other prefectures in Japan, under the guise of post-World War II reconstruction support (hence the official name being Okinawa Expressway).
Furthermore, to protect awamori (the traditional Okinawan spirit) makers, liquor taxes are still reduced (though it's unclear why, this reduction also applies to Orion Beer, the beer company in Okinawa).
Additionally, it is said that the hosting of the Marine Expo in 1975 and the G8 Summit in 2000 was partly due to consideration for the local sentiment regarding the concentration of U.S. military bases in Okinawa and the repeated serious crimes committed by U.S. armies (murder, rape, robbery). Indeed, since the reversion to the mainland in 1972, the Okinawa Development Finance Corporation (my former employer), a government financial institution, has been established and operated separately from the Japan Finance Corporation, always citing 'Okinawa's unique circumstances' and 'postwar reconstruction' as reasons for extensions of the foundational law.
Many of the postwar-born and raised generation honestly start to question its validity. With such special treatment, one would wonder if the political motives played a role in attracting organizations like OIST and MICE.
There is a book titled "The Real Reason Poverty Doesn't Disappear from Okinawa" (There is no English edition) . As one of the Okinawan people, it was painful to hear the author's points.
The book is below.
https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334044794
Such 'special treatment' seems to have become a fundamental factor that defines Okinawa, transforming into vested interests enjoyed by the whole society, even as its necessity diminishes. This is because the benefits lost by ending it become an opportunity cost, making its maintenance a goal in itself. I can't help but wonder if our island is still 'in the midst of postwar reconstruction.' If so, when and how can we achieve an 'independent Okinawa economy' that no longer requires special treatment from Japanese government.
Chapter 6:The Success of External Pressure ~ The Case of Orion Beer ~
Let's move on to a bit about Orion Beer, a brand I dearly love.
This brewery, based in Okinawa, was founded in Nago City in 1957 by Sosei Gushiken. They started using the name 'Orion Beer' from 1959 and became a subsidiary of Asahi Beer, a major shareholder, in 2002. In 2019, Orion was acquired through a TOB (Takeover Bid) by Nomura Capital Partners, under Nomura Holdings, and the Carlyle Group, a foreign investment fund.
I was excited about the resurgence of Orion, but it's also true that I heard stern criticisms like, "They sold the soul of Okinawan spilit to foreign investors."
Five years are about to pass since then, and what has been the result?
While it's become difficult to check the detailed financial statement through public securities reports due to privatization, the frequency of new product launches has significantly increased. I've personally felt the popularity of beers using wheat from Ie Island and shikuwasa from Nago City, and the craft beer 75 Beer (called "Nago Beer"). The hiring of two professional managers (one resigned due to personal reasons) and It can be said that hiring Ryuheita Suita, who served as CMO (Chief Marketing Officer) until April of this year, had a great effect. He had marketing roles at Coca-Cola, Moët Hennessy, Dyson, and also a lot of product planning at Godiva.
Although the initial goal was to relist the company within five years of acquisition, the corporate value at the time of relisting will undoubtedly be higher than at the time of acquisition.
Bringing in outsiders has begun to be recognized as a good example contributing to the resurgence of this prestigious Okinawan brand and might lead to new social impacts.
There's a saying, "Only three kinds of people can change the world: outsiders, the young, and fools." Carlyle and Nomura, 'outsiders' from Okinawan, are indeed changing something.
Chapter 7:The Why I Do a Startup
Which kinds of person for me?
At least in Okinawa, I'm not an outsider.
It's debatable whether being 28 is still considered 'young'.
It seems I might need to be the fool.
There is a saying, 'truth only you have realized' said by Peter Thiel in his writing, "Zero to One". For me, truth is 'there is no leading industry in current Okinawa'.
One might say it is crazy perspective.
However, once the Ryukyu Kingdom thrived in international trade as its leading industry, but sadly, it's now a shadow of its past.
Tourism and sugarcane in agriculture, brings low income and has low productivity.
In such Okinawa, the truly needed talent might not be politicians, civil servants or salarymen, but rather cutting-edge entrepreneurs who can create companies larger than San-A or Cellular (with a corporate value of approximately 170 billion yen) in about a decade.
I believe that if Senaga Kamejiro, a politician who dedicated the postwar reconstruction of Okinawa, were in today's Okinawa, he wouldn't have become the mayor of Naha-city or a member of the House of Representatives but an entrepreneur.
He was a great man who cared for Okinawans more than anyone else, being proud of an Okinawan, and brought about much of the peaceful Okinawa that modern Okinawans enjoy.
50 years from now, the 'benefits we enjoy' that Okinawan feel about will likely be due to the significant economic effects brought by contemporary entrepreneurs. I don't want to go back to a world without Google or Apple, and just thinking about creating such recognized companies from Okinawa excites me. This excitement has sometimes become a source of power, fueling my rebellious spirit, even when faced with unreasonable responses from administration and banks.
Epilogue:
This essay was written in accordance with the Silicon Valley maxim, "I am not lying, but stating a truth that is too early."
If I succeed as an OKINAWAN ENTREPRENEUR, this essay will hold value, but if I fail, it will become somewhat like an embarrassing digital tattoo. Nonetheless, I believe that the serious social issues of this island, like low wages and child poverty, can be significantly alleviated or resolved through the benefits returned to society by entrepreneurs solving customer problems. That's why I decided to articulate my thoughts.
In today’s world, where maintaining the status quo equates to regression, entrusting the future of this island to government agencies and large corporations, which easily become vested interests, carries a significant risk. Considering this, I believe that startups are the only catalyst for a remarkable development in Okinawa's economy and are essential for the future of the Okinawa where I was born and raised. They are an attractive means that, despite personal risks, reduce social risks.
That's why I've decided to start a startup.
I appreciate all of your support in 2023.
Happy New Year.
December 31st, 2023
Yourtory Inc.
CEO
Hiroyuki Uehara
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