選べるという贅沢な悩み
新卒就活の時も結婚の時も、若ければ若いほど傲慢になれてよかったなぁと感じる。
転職活動で、選考が進み始めて、まさかの「選べる」という贅沢な悩みになるとは。
傲慢でもいいじゃない
傲慢さは、一般的レベルより高い自覚がある性格してます。高慢というより、傲慢だな。
平易に言えばワガママです。はい。
猪突猛進時々曲芸。
欠点ですが、美点にもなるんだよ、傲慢。たまには。……たぶん。
自分本位は協調性って観点からは欠点が大きいけれど、人生は結局自己責任で、主体的であるかどうか?だと思う。
日々は、選択と決断の連続だな。
そんなわけで、働き方も生き方も、勤め先も、選んで、決める。
それについては、誰も責任とってくれない。
配慮しまくって決めて、悔やんでも、誰のせいでもなく、「自分本位にしない」と決めた自分の責任というわけで……決めるのは、自分。
選択肢のある範囲で最良と信じて、選び取っていくのみ。
傲慢な人間でも、そうすることになにも悩まないわけじゃない、と思う。
それとも迷わないのだろうか?
迷わないなら傲慢、という定義だとすると、わたしは傲慢じゃないのか?!
決断の、責任を持つ覚悟を
後悔するかどうか?なんてわからない。しないように色々必死に考え、検討、比較してもなお、本当にそれでいいのかはわからない。
後悔したとしても、今、この時のベストはこの選択だとキメをする。
本当に? 本当にそれでいいのか?
わからない。
どんな評価軸を用意しても、合理的に考えようとも、直感を信じようとも、わからない。正解もない。
傲慢さを全開にしていた年齢の頃の方が、迷いや悩みは少なかった。
失敗もたくさん繰り返した。思っていたのと違ったなぁ。似合わないもの買っちゃった、とかも含めて、あちゃーはたくさんある。
買い物や試験は、繰り返し経験をして、採用する評価軸もわかってきて、年経るごとに”上達”したんだと思う。
ところがどうだい、仕事とかキャリアというやつは。繰り返し学習があまりにもできない。23歳の、27歳の、31歳の、今この、就社や業務はおおよそ1回こっきりで、2〜3年、5〜10年と長いスパンでわかることを比較検証できやしない。
●歳までにこんな経験を積んで、×歳にはこんな資格をとって、▲歳には起業する、とか独立するとか、計画を持ち仕事を選びとっていかれる人もいる。さらには計画通りに進む人もいる。キャリアってそういうイメージがあるものの。
「キャリア=結果」論
成功や狙いではなく、失敗や後悔を含めて、キャリアになる。というか、キャリアって「積み重ねての結果」でいいんじゃない?
なんか、天職だとか、好きを仕事にだとか、なるべくして、とか、才能とか市場価値とか、そういう作り方もOK。だけど、そうじゃない、愚直に生きていくこと=キャリア。そんな視点も有りでは?
というわけで。
今の悩みは、録画面接で目が泳ぎすぎて、練習モードで挫折しかけているということと、第一志望企業様の最終面接が確定した途端、他社選考もガンガン決まり出したこと。ドユコト。キャリア神に試されているのか。