自分の中の罪悪感
わたしの中にある自分に対しての罪悪感がある。
それがいつ生まれたのかは忘れてしまったけど、よく感じることで、
『何もできなかった。何もできていない。何もしていない。』ということ。
よくよく振り返ってみたら、できない、やれない自分がすごく嫌だった。手先が不器用で運動神経もあまり良くない、みそっかすのような自分。本当にいろんなことがうまくやれなくて。。。やってもできないこと、上手じゃないことに対して、いつからかそれが当たり前だと思うようになってました。
できなくて当たり前。
それを受け入れていることって、自分に対してのある意味暴力なのかなって、思いました。
初めてやることが、最初できなくて当たり前。それは間違いない(もちろんすぐにできる人もいるけど)です。
そして何度も何度も何度もやれば、上手になるし、できるようになる。でもわたし自身は、最初のつまづきで、諦めてしまったことが本当に多いなって感じます。
昔から絵がうまくなりたかったし、字が上手になりたかった。
だけど友達に毎日練習すれば上手くなるよって言われても毎日やりたくなかった。
書き方の練習も嫌いだった。だから字が上手になるのも、小一であきらめた。
そんな積み重ねが、わたしは「何もできなかった」につながるし、どうせできないんだから、最初からチャレンジしない、練習を積み上げない生き方をし続けてきた。
考えてみたら、それって堂々巡りですね。卵が先か鶏が先か、じゃないけれど、
できないんだからやらない、やらないんだからできない。。。
それでは、何も始まらない。。
究極を言えば、何も始まらなかったことなんてない。何かをしてもしなくても世界は動いているし、何かは繋がっているんですが、
わたしの中ではいつだって罪悪感が消えないまま、そのネタを作り出し続けているんですね。
『何もできなかった。何もできていない。何もしていない。』自分を証明し続けるために。
でもだからこそ、今のわたしの、今の言葉がある。想いがある。
わたしはここまで歩いてきた。そう。何もしてこなかったわけじゃない。