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2021.2.1 ちょっとそこまで墓買いにⅡ

その初老の男性はマスクをしているのに目元の辺りが緩んでいて、話をしながらも微笑んでいるのだと分かった。柔らかい口ぶりも含めて、墓を売るにはうってつけの人物だなぁと思うが、もしかして墓を売り続けていたら、こういう表情やしぐさになっていくのかもしれない。
男性が胸ポケットから取り出した名刺入れには、金色のカードが入っていて、上部にタッチパネルのついたATMのような機械にそのカードをかざすと、ピッと機械音が鳴った。しばらく無言で待っていると、目の前のエレベーターのような白いドアが、しずしずと左右に開いた。中には○○家と名前が書かれた、立派な黒い墓が鎮座している。

一カ所墓の見学に行ってみて何かが吹っ切れたのか(2021.1.19 ちょっとそこまで墓買いに)、別の墓の見学に申し込んだ。何かを決めるときに必要なのインフォメーションと実感だ。見学に来たのは市街地にある納骨堂である。駅からほど近く、寺院が運営しているというその納骨堂は、5階建てのよくある長方形のビルであった。お参りする場所に位置する3階に上がると、エレベーターのような扉が5つ、衝立で仕切られて並んでいる。扉の横に置いてある機械にICカードをかざすと、骨壺(最大6個まで入るらしい)の安置されたボックスが自動的にその墓の後ろに移動する。そして、墓の名前の部分が参拝者に合わせて変わるようになっている。

扉が開いて目の前に現れたものは、まごう事なき墓なのだが、今まであまり見たことがない光景すぎてちょっと笑いそうになる。墓には違いないのだから手でも合わせるか…とも思うし、その清潔さと効率の良さはなんだかSFみたいだ。それからさっき男性と無言で扉が開くのを待っている時の妙な間は、ちょっとコントみたいじゃなかった?

「ここのタッチパネルには…」と、男性が説明してくれる。
「亡くなられた方の写真や家系図を登録できるんですわ。お好きな枚数登録できます。この間、山田様とは逆に奥様を亡くされた方がいらっしゃったんですけど30枚登録しはりましたわ。1枚2000円です。家系図の作成は2000円です。この家系図のところに家族写真を入れる方もいてはりますよ。2000円です」
思い出1枚2,000円。
一瞬高い、と思うが、いやいや思い出の相場として妥当な額かもしれないと思い直す。何枚でも無料だったらいくらでも登録してしまうだろうし、1枚300円だったら、アイドルのブロマイドか?となりそう。こちらの弔いの心を守りながら、墓を売る側も儲けるという、うまい金額かもしれない。

ここに墓を持つとしたらどんな写真にするだろうか?と考えながら質問する。
「画像だったら絵でも良いんですか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「動画はどうですか?」
「動画はちょっと難しいかと…」
「じゃあこの写真の中にQRコードの画像を一枚入れて、それでWEBサイトに飛ぶとかどうですか?」
「いやぁーちょっとそういう方はあまりいらっしゃいませんで…」と男性は苦笑いしながら言葉を濁した。いい思いつきだと思ったんだけど、そういう問題ではないらしい。

事務室に移って料金や仕組みなどの詳しい話を聞く。
「郊外のお墓はね、やっぱりいずれ足腰が弱って行くのが大変になりますからね。近いところにもって、手を合わせに来てもらうんが1番ですわ」と男性が言う。「そうですねぇ」と頷きながら、その「いずれ」は、たぶん他の墓を買う人たちよりは随分先なんだよなぁと思う。先であって欲しい。

一通り説明を聞き、出してもらったペットボトルのお茶をリュックに入れて帰ろうとすると、「そのボールペンも良かったら持って帰って下さい」と言われた。書類を書くために渡された、納骨堂のロゴと名前が入ったボールペンだ。このボールペン、使うのちょっと嫌だなぁ。と思いながら断るのも忍びなくて、リュックのポケットに入れた。外に出ると雨が降っていた。

駅に向かって歩きながら、説明を受けた内容や、色々なことを反芻していたら頭がぼーっとしてきて、朝ご飯を食べ損ねたことを思い出した。食パンが2枚しかなかったので、息子と娘に食べさせたのだ。なんだか足に力も入らず、ふわふわと宙を浮いている感覚がしてきた。よし、肉だな。力がない時は肉を食べるに限る。分厚いステーキでしょ。

30代に入ってからよく焼き肉やステーキを食べるようになった。それまでは魚の方が好きだったのだけれど、良い肉を食べると貧血気味なのがマシになって、エネルギーが湧くなと気が付いてから、割と切実な栄養として食べている。美味しい肉は良い。でも肉をよく食べるというと、若いな~元気だね~自分はもう無理~と始まる謎の自分語りや、肉食女子!とか言われ謎に元気印認定されることがよくある。なんでもいいから、全員黙って肉を食べて下さい。家の近くにあるステーキハウスに入って200gのハラミステーキを注文する。焼き加減はミディアムレアで。待っている間にさっきの納骨堂でもらったパンフレットを読み直す。

墓といっても色々あるものだ。どちらかというと昨今いろいろ選択肢が出てきた、と言うべきなのだろう。共同墓に樹木葬、都市型の納骨堂、それからよく言われるあれ「海に撒いてくれ」。いいよね、海に撒かれる、ロマンだよ。大自然に抱かれて眠りたいよそりゃ。とはいえ、子孫に迷惑を掛けたくないとか費用的な話とか、理由は様々なのだろうけど、死んでなお他者とは別の物語にいたいという自己の死に対する顕示欲、というものを感じなくもない。「死んだら墓に入れてくれ」より「死んだら海に撒いてくれ」って言った方が絶対格好いいもんな。

ジュージューいう鉄板の上で焼かれたステーキが登場する。紙のエプロンを付けて、一番端のステーキの欠片を噛むと、なまぬるい肉汁が喉の奥に入っていった。肉だなぁ、おいしいなぁと思う。ブヨブヨとした柔らかい肉の食感を味わいながら、さっきの納骨堂に収められた無数の骨のことを考える。30枚の写真と共に眠っている誰かの奥さんの骨のことを考える。家系図の代わりに家族写真を納められた、誰かの骨のことを考える。そして、骨ばかりが納められた納骨堂から這い出てきて、ミディアムレアの肉をかみしめている自分のことを考える。考えたって特に何も分からない。死というものについて考え続けているが、結局ずっと分からない。自分が何かを分かりたいのか、ということも分からなくなっていく。だが、いずれ骨になるとしても今の私に血と肉があることは分かる。だから肉を食べる。

付け合わせのいんげんと、鉄板に焦げてはりついた細切りの玉ねぎまで完食し、食後のコーヒーを飲む。胃の辺りがほかほかと温かい。帰りの足取りは軽いだろう。手帳を開いて今日聞いたことをメモしておこうとするがペンが見当たらない。リュックを探るとさっき納骨堂でもらったボールペンが出てきた。一瞬ほの暗さが心の端をかすめたが、これしか書くものがない。なに、これはただのボールペンなのだ。

1枚2,000円、などと今日聞いたことを手帳にメモしているうちに、もし私が私自身の墓を持つとしたら、墓石にどんな言葉を掘るだろうか、と思う。好きな言葉は沢山あるが、出来れば自分の言葉がいい。墓に掘ってまで伝えたいことって一体なんだろうなぁ。あまりにもカッコイイやつはちょっと恥ずかしいし、長すぎるのもダメだ。「ありがとう」みたいなのは普遍的だけど、もうちょっと個性的なのが良い。絵とかも入れる?だとしたら……。考え始めるときりがない。あーーームズイ。全然分からん。あ、でも今この瞬間、一つだけ分かっていることがあるから、それを暫定案にしておこう。

手帳の新しいページを開き、納骨堂のポールペンを手に取り書く。

墓碑銘(仮)
全員黙って肉を食え

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