花を焼くなら
6月という季節のことを、これまでの自分がどんな風に生きていたのか、もうあまり思い出せない。それは梅雨の真ん中で、夏の入り口で、季節に付随する風景や出来事がいくつかあったはずなのだが、山田の命日になった、という事実がそのすべてを吹き飛ばしてしまった。命日が近づくたびに、なんとなく気持ちがざわざわと落ち着かなくなるのは、変化する季節の端々が、山田の死んだ時期のことを思い起こさせるからだろう。
2021年の6月18日で、山田が死んで丸2年が過ぎようとしていた。この年月が長いのか短いのかは分からない。ただ、重い鉛の塊を、体の中心に抱え続けているような苦しさは、あまり感じなくなっていた。つまりは慣れたのだ。不在に慣れてしまうことほど悲しいことはないが、慣れなければ過ぎていく日々に対応することが出来ない。当たり前のように時間は1分1秒を刻んで過ぎていく。
2年で流れてきた時間に何とか区切りをつけようと、いくつかの試みもした。墓も建てたし、文章も書いた。命日には友人3人と音声のライブ配信をすることにもした。テーマは3回忌。山田のことを偲びつつ私の2年間を褒め称えて!とお願いしたら、快く引き受けてくれた。
しかし、2度目の命日が近づくにつれて、ある一つの考えが私の頭の中に浮かぶようなった。それはふとした瞬間、例えば家のドアの前に立って鍵穴に鍵を差し込んだ瞬間とか、自転車で橋を渡っている時とか、パソコンを立ち上げてパスワードが読み込まれるのを待っている時、ごくごく些細な瞬間に浮かんできた。
私、もっと寂しくならないと
もっと寂しく?
最初は気が付かないふりをしていたその声は、次第に輪郭をおび、日々の中を支配するようになる。焦りにも似た衝動の源を探ろうと考えを巡らせる。
単純に疲れているのだ、と思う。生活のタスクは毎日山のようにあって、自分1人でゆっくり過ごす時間が取れていない。私は休む必要がある。
もしくは罪悪感だろうか、とも思う。山田の死に際して私が出来たことは充分だっただろうか。あるいは生きている山田に対しては?日々を楽しむことや自分が生きているということそのものに、どこか後ろめたい気持ちがあるのだろうか。
もしくは、承認欲求、みたいなものかもしれない。私の身に起こった、他にはない経験は、ある意味では私の人生を特別なものにした、と言えなくもない。不幸自慢をしたいわけではないが、特別であり続けるためには、寂しくあり続けなければいけないような気がしているのかもしれない。
なるほど、どれも間違いだとは言えないだろう。しかし寂しさというものは、大体のところ単純な因果関係で説明できるものではない。むしろ因果関係の外側に途方もなく広がる捉えどころのない霧のようなものだ。その曖昧な霧の恐ろしさを和らげるために、寂しさという名前が与えられたにすぎない。現に、何とか理由を付けたところで、努力も虚しくその声は日増しに力を帯び、頭の中で反響しているではないか。
命日の少し前のある昼間のことだ。コーヒ豆をミルに移そうと袋を開いたとき、少しだけ手元が狂い、袋が手から滑り落ちた。ドサッという鈍い音と共に、床一面にコーヒー豆が散らばる。あーあ、とため息をついてから、ふと口に出す。
「もっと寂しくならないと…」
すると、口に出すことが始まりの合図だったように、その衝動が急速に大きくなって私を揺さぶった。
もっと寂しく、もっともっと寂しく、もっともっともっと寂しく
もっともっともっともっと寂しくもっともっとももっともっともっと…
どんどん膨れあがるその感情に恐れをなして、散らばったコーヒー豆もそのままに、スマホを取り出しで精神科に電話を掛けた。少し気持ちが落ち着かなくてと電話口で告げて、一番近い日程でカウンセリングの予約を取り、電話を切るころには衝動は少しだけ収まっていた。
床に落ちたコーヒー豆を一粒ずつ拾い集めながら、自嘲するような乾いた笑いがこみあげてくる。寂しくなりたいなどと言いながら、私としたらどうだ、なんとか助かろうと精神科に電話をかけている。落としたコーヒー豆を一粒ずつみずぼらしく拾い集め、それを挽いて今日3杯目のコーヒーを飲むんだろう。立派な墓を建てたとSNSにあげて、子供たちのことを文章に書いて、何とか自分を意味あるものにしようと必死だな。人にはそれは強さと映るのかもしれないが、結局のところ厳かに、一人で、自分に起こったことを受けとめることから逃げているだけではないのか。
あぁ、寂しくなりたい寂しくなりたい、寂しくなれるのはいつだって天才だけだ。
6月18日、命日の日は仕事を休みにしていた。マッサージに行こうと予約までしていたのだが、朝子供たち二人を保育園に送って帰宅した時点でどうしても疲れていて、キャンセルする。そのままベッドに横になると二度寝してしまい、起きた頃には午後になっていた。折角なのだから、何か美味しいものを食べようと、重い体を起こして外に出る。
マンションのエレベーターで1階に着くと、入り口付近が騒がしい。大きなトラックが止まり、作業服の何人が集まっている。外は晴れて天気が良いらしく、暗いエレベーターホールにも光が差し込んでいる。スロープを通り、歩道に出た時、くすんだいくつもの色の連なりが目に飛び込んできた。道にびっしりと沢山の花が並べられていたのだ。
細長くて背の高いブルーの壺には、スイトピーのようなピンク色の花とその他いくつかの派手な花が入っている。棚の上に置かれた花瓶にはくすんだ色のバラが10本、その横に無造作に置かれた紙袋の中から、チューリップが数本顔を出している。透明の大きめのビンの中には小さなオレンジの花とかすみ草。その他にも、花のついた枝木のようなものや、花びらが幾重にも重なった名前も知らない花が、壺や花瓶や様々な箱に入れられて並んでいる。
それらが本物の花ではないとすぐに分かった。そのような手芸をなんと呼ぶのか知らないが、これは布やリボンや針金で手作りされた花だ。チューリップの茎は針金と緑色の紙テープ、スイトピーの花弁のぼやけたピンクはおそらくこの花用に白い布に着色されたもの、バラの花弁が滑らかに光っているのはワインレッドのサテン生地だからだ。長い年月の経たのか、花たちは一様にくすんだ色をしていた。私はこれを良く知っている。なぜなら、実家にも母が昔作ったという布で出来た花が、玄関や棚やトイレに飾られていたからである。
歩道の横には大きなトラックと、廃品回収車が止まっていて、トラックの中には家財道具が積み込まれている。どこかの部屋の荷物が運び出されているのだ。築年数の古いこのマンションでは時折こういうことが起こる。長くマンションに住んでいて年を取った人が引っ越しをする、あるいは持ち主が亡くなった部屋から荷物が運び出される。そういう時、運び出される荷物にはある時代の記号のような共通点がある。
色の濃いブラウンの家具、石膏風の天使の置物や、マイセンっぽい繊細な焼き物、やたら重そうな花瓶、これまたブラウンで分厚い座面のロッキンオンチェア…。生活の中で集められたこれらのものが、昼の光の中にさらされると時代遅れに古ぼけて見える。布で作られた手作りの花も、おそらく一時期に流行したものなのだろう。私は母が花を作るのを見たことがなかったが、母が亡くなったあとクローゼットの中から道具と材料が大量に出てきた。色とりどりのリボンや布は、いつか使うかもしれないし、とそのままクローゼットの中にしまい込んだが、あれはまだそのまま眠っているだろうか。
必要なものはトラックに積まれ、おそらくその場で処分できるものはゴミ収集車に投げ込まれる。目の前では、分解されたカラーボックスが収集車に飲み込まれてバリバリと音を立てている。収集車の横を通りすぎる時、作業をしていた青年が花瓶の中のバラの花束を掴んで収集車に投げ入れているのが見えた。それはかつて丁寧に花びらを丸められ、誰かの生活を彩った花だったかもしれないが、持ち主を失い役目を終えた今、ゴミとして焼かれる運命なのだ。仕方がない、すべては過ぎていくし、失われていくのだから。天ざるを食べて、買い物をして再びマンションに戻る頃には、トラックもゴミ収集車もあの大量の花たちも、きれいにマンションの前から消え去っていた。
夜の7時になる少し前、子供たちを義父母の家に送り、ビールを買いに再び外に出た。友人と夜にライブ配信をする予定だったので預かってもらったのだ。思えばこんな時間に一人でいるなんて一体いつぶりだろうか。大きく手を振って、大股で歩いた。前に進む。息を吸う、吐く、瞬きする、完全に日が落ちる前の一瞬の時間、まるで初めて手に入れた体の感覚を確かめるようにして味わう。体は変わらずここにある。良かった。心はいつも所在地を見失うがそのたびに、「ここにある」という体の感覚が、私を日々に繋ぎ止める。
家に帰ってご飯を食べてゆっくりと風呂に入る、私のためだけに使われる私の時間は随分贅沢に感じる。風呂から上がったら、配信用にパソコンをセットして、それからなぜか録画していた再放送の古畑任三郎を見た。唐沢寿明が犯人役で、殺されたテレビスタッフの楽屋に魚のくさやがまいてあるエピソードだ。小学生の頃にリアルタイムでも見たし、再放送でも何度も見た気がするな。でも一体どんなトリックとか結末の話だったか全く思い出せないまま、最後まで新鮮に見てしまった。
21時になり、山田の三回忌配信は、スタンディングオベーションから始まった。正確に言えば友人3人との音声配信だから、スタンディングしているかはどうかは分からないけど、それはあまり重要なことではない。配信で何を話すか、と考えた時、取り合えず、2年頑張ったから私のことを称えるなら、最初はやっぱりスタンディングオベーションじゃない?と話したから、それを実行してくれたのだ。50人くらいの人が聞いていて、コメントに拍手の絵文字が飛び交った。真面目だから見えないけどちゃんと立った!と書いている友人がいて笑ってしまった。
配信は和やかに進んだ。墓をポケスポットにしようという話とか、私の書いている文章の話とかいろいろしたけど、山田のくだらないエピソードが全部面白かったし、山田の尊厳を守るためにR15、R18とエピソードを分けて子供に話すタイミングをみんなで相談しようという話もした。私からのメールの着信バイブレーションが私の下の名前のモールス信号になっていたのは暴露されたくなかったかもしれないけれど、それは仕方がない。面白いから。山田は友人たちとの話の中では相変わらず、山田でしかなく、それは私を随分と安心させた。
死んだ山田は、ある側面ではあっという間に神様になった。神様は正しい形をしている。生前は素晴らしい人で、優しい人で、みんなに好かれる人だった。神様は色んなものを背負ってくれる。亡くなっても天国で見守っていてくれる、心の中にいてくれる、苦しみをわかってくれる。弔いの方法は人それぞれで、正しいも間違っているもない。むしろ死んだ人間を人ならざる尊い存在に昇華するのはごくごく自然なことだ。そのために宗教があり、それは確かに、残された人間が明日も生き続けていくための切実な知恵だとも思う。
だが、いつまで経っても山田を神様には出来ず、ただ突然目の前に出現した「不在」に、混乱する私には、神様みたいになった山田の話は全く自分には関係のない話に思えた。そして神様のフィルターを通してみる私は、神に残された妻であり、子供たちは神様の子供たちなのであった。一体私自身はどこに消えたんだろう?子供たちは、山田の片鱗をそんな風に過剰に背負って生きていかないといけないのだろうか?
けれど友人たちと話している時、山田は山田のまま相変わらず融通が利かなかったり、謎の行動をしたり、バカバカしいことで笑っていたりする。山田を山田として扱うということ、それは私を私自身として扱うことと、そして子供たちを子供たち自身として扱うことと、分かちがたく繋がっていた。
途中、私の書いている文章の話になった時、友人が言った。
「私は声を大にして言いたいんだけど、やっぱり大変なことに見舞われたときに出てくる文章っていうのはどうしても凄みが出てくるけど、ヨウリーは元々めちゃくちゃ面白い人だし、元々書く文章はハンパなかったんですよ」
絶望的な状況が、抗いきれない勢いで私を規定していくのは避けられないことだったが、時折その勢いに無力感を感じざるを得なかったと思う。だけど、私には元々力があったのだと、力強く保証してくれる存在がいてくれて、これほど嬉しいことはない。
2時間以上話したし、コメント欄もにぎやかだった。こんなに楽しく山田の話をしたの久ぶりだったと思う。配信を切ろうとしたら、「じゃあまたね」と友人が言った。みんな口々に「またね」と言った。私も「またね」と言って、配信を切った。
静かになった部屋でパソコンを閉じて、歯を磨き、ベッドに入った。こういう時は余韻を抱いたまま、眠りについた方がいい。目を閉じても「またね」という言葉が頭の中に残っている。良い夜だった。暗い山の中に、パッと柔らかな明かりが灯った小屋が出現したみたいな夜だった。生きてきたことそのものを祝福しようとした時、必要なのはそういう小屋みたいな場所なんだろう。寂しくなりたいなんて思う必要はなかった。いや、もしかして本当はずっと、寂しくなんてなかったのかもしれない。だって今、全然寂しくないやん。寂しくないよ。
ベッドの上で目を開くと、いつものと変わらない暗い天井が見えた。癖で奥歯をかみしめたら、歯ぎしり防止用につけているマウスピースのぐにゃりとした感覚が顎に響いた。息を吸う、吐く、瞬きする、まるで初めて手に入れた体の感覚を確かめるようにして暗闇の中に身を浸す。体は確かにここにある、そして思う。
嘘だね、とても寂しかった。
寂しい寂しくない苦しい楽しい明るい暗い、部屋の電気のスイッチをONOFFするみたいに、はっきりと決まっていればいのに。
あぁ、神様仏様どうかみんな幸せにして下さい、いやいや神様仏様みたいなもんおらんやろ、いるんやったらなんとかしろよ。
一礼、南無阿弥陀仏、柏手二つ打ってハレルヤ。少年よ大志を抱け、君死にたまふことなかれ、諸行無常、メメントモリ、則天去私、月落ち烏鳴きて霜天に満つ、人間は考える葦、ただの葦。Let it beでShow must go on、Dead or aliveならこのまま死にたいな。Life goes onだから明日のお昼ご飯は素麺。一礼、十字を切って南無妙法蓮華経、柏手二つ打ってアーメン。その前に手洗いうがいを忘れずに。春はあけぼの、夏は何だっけ、秋は確か夕暮れ、冬はつとめて、
花を焼くなら
錯綜するまま放置していた思考の片隅に、昼間にみた、あの路上の花たちのことが浮かんだ。あの花たちはもう焼かれたのだろうか。
花を焼くなら
かつてあの花びらを丸めた誰かの指先の小さな爪のことを思った。花たちが見守った、いくつもの生活のことを思った。
花を焼くなら
ゴミ収集車の中に折り重なって、焼かれる時を待っている花たちのことを思った。
花を焼くなら
火が、すべてのものを燃やし尽くすのは生まれながらの宿命だと知ってはいるが、それでも。あの花々を焼くならば、どうか優しく焼いて欲しい。花を焼いて燃える炎は、蝶のように舞っていて欲しい。
花を焼くなら、花を焼くなら
眠れない夜に羊を数えるように、目を閉じて、古ぼけたあの花々の面影を数える。花がひとつ、花がふたつ、花がみっつ、花がよっつ、それら全てが私の今日に、厳かに供えられた唯一無二の花だ。見ろよ、燃える花々を。私はあの花々と共に、今日という一日を荼毘にふし弔う。遺灰から咲く花を愛でるのは、いつかの私に託して。
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