結婚式とマジックアワー
久しぶりに家から離れた遠くの場所で、一人きりで電車に乗った。車窓から見えるどこまでも続く田園風景、座席の上で揺れる窓から差し込む木洩れ日、眠っている乗客たち、そういうものをぼんやり眺めていると、心臓の底の方の窓がバッと開いて風が吹き込んで来るような気分になった。目的地がどこであれ目的が何であれ、移動の時間そのものが、流れていくいくつもの風景が、静かに洗い流してゆくものがあるのだよな、と思い出した。
その日は子供達は義父母に預け、千葉の小さな町に、結婚式に向かった。茨城の実家から電車を乗り継いで2時間、1人で長時間しかも全然知らない土地で電車に乗るのなんて随分久しぶりのことだった。町の名前を告げると、えっどこ??成田線!?なんて何にもないのよ…!車両も何両あるか…と、義父母が訝し気な顔をしていたが、いや常磐線も大概では?と思いながらもその言葉は言わずにおいた。こういう微妙なローカル線引きみたいなのはどこにでもある。
結婚式は良い式だった。新郎新婦の人柄が現れていたし、料理もおいしく、皆が幸せを分け合えるような式だった。これも良く言われることだとは思うが、もはや新郎新婦のお父さんお母さんの気持ちになって見てしまうので、家族への手紙とか確実に泣いてしまう。結婚式ってほとんどは親のためにするものだよなぁ。
本当に良い式だな、と思いながら、しかし結婚式って大体全部良いよな、良くない式ってどんな式だろと考える。例えば結婚式場に隕石が落ちてくるとか?それは式自体の良し悪しというか不運である。新郎と別の男が乱入して新婦と去っていくとか?それもまぁ当事者にとっては最悪かもしれないが、ドラマではあるので悪いとも言い切れない。
自分が出た式の中で言えば、新郎の友人が余興をしている時に、ひな壇横にあった大きなスタンド式の照明にぶつかってしまい、倒れたガラス製の照明の部分が盛大に割れてしまったことがある。ガッシャ―――――ンと大きな音が響き渡り、凍りつく場内。その時、新郎が司会の元に走りより、マイクを受け取ると震える声でこう言った。
「大丈夫です!!!あと違うんです!こいつら、めっちゃいいやつなんです!!!!!!」
いやそうだろうな、と思った。あんな風に咄嗟に友達をかばえる人絶対いい人だし、その友達も良い人に決まっている。きっと新婦が失敗したり間違えたりした時も、前に立って、いい人なんです!て信じてくれる旦那さんなんだろうなぁと思った。ご本人達にとっては苦い思い出かもしれないが、アクシデントはあったが、あの式はやっぱり良い式だったと思う。
結婚式には幸せしかないので、式をする人がいたら是非呼んで欲しい。しかしもしかして、結婚というものが予想しない形で終わってしまった私は式に呼ぶには縁起の悪い人間かもしれない。でもまぁ、呼んでよ。ご祝儀もはずみます、あと歌舞伎で屋号を叫ぶ時くらい一番良いタイミングで「おめでとう」とか「きれい!」とか叫びます。
昼過ぎから始まった結婚式は夕方に終わり、そのまま帰りの電車に飛び乗った。長い乗車時間になることは分かったいたので、本を持ってきていたのだが、ちょうど帰りの電車の中で読み終わった。パオロ・コニエッティ「帰れない山」。イタリアの山岳風景の中で培われる家族や友情の話であったが、同じ山に登り、同じ山で暮らしていても、それぞれの見ているものがある時は重なりある時はすれ違う。その様子は生々しくもあるのだが、山の自然や風景から反射するように描かれているので、とても美しかった。
読み終わって顔を上げると、まさに日が暮れていく時間だった。田園風景の向こうで沈んでいく夕日や濃くなっていく暗闇を見ながら、ここではマジックアワーそのものの色が「視える」のだなと思った。大阪での普段の風景の中では、それは街の空気感や薄暗くなっていく空間から「感じる」ものなのだが。ここでは色そのものが迫ってくる。それはきれいなのだが、自分の手に負えない感じがして少し怖い。「逢魔が時」ってまさしくこの時間のことなのだから、うまく言ったものだ。
義父母宅に着いた時には7時を過ぎていたのが、子供たちはママが帰ってくるまでご飯は食べないと言って何故かストライキをしており、私は結婚式でたらふく食べた後なのに、お好み焼きを一緒に食べた。大阪に帰ってきてからは、引き出物にもらったみりんで煮物を煮た。みりんのビンを取り出すたびに、良い式だったなと思い出す。今度は生姜焼きに使ってみることにする。
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