最果てのトランジット
夜の空港が好きだ。
特に、海外に向かう長いフライトの途中、トランジットで降り立つ深夜の空港が好きだ。
街に繰り出すまでもない、次のフライトを待つまでの中途半端な時間、待合いのベンチに座り、昼とは違って、空気が止まっているような静かな空間で自分の息遣いを聴くとき、疲れた体とは裏腹に頭は妙に冴えていて、高揚感と少しの不安が押し寄せてくる。
周りには同じようなフライト待ちの乗客がいて、ベンチで横になったり、スマホを見たり、本を開いたり思い思いに過ごしている。彼らと私の間に何が起こる訳ではないが、ただそのエアポケットのような時間を静かに共有している。
私は意志と行動力を持ってその場所にたどり着いたはずだが、同時に出発を待つ乗客の1人に過ぎない。高揚感で膨らんだ自己認識と、静かな空間に1人座っている自分の存在の小ささ、その両方が混ざりあって境界を失った時、夜の空気に濾過されたように、ふと自分が身軽になった気がする。
例えば家のソファや、職場のデスク、いつも通る道や好きな喫茶店の席、日常に馴染んだそれらの場所や時間に宿るものを「ここ」と呼ぶのだとすれば、「ここではないどこか」を思う時、いつもあの硬いベンチのことを思う。
「ここ」から1番遠い、最果てのトランジット。私はその街について多くを知らないが、あの静かな夜と共に、その街の名をいつまでも覚えている。
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