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私の隠し事は宝物かも💎

ブログを書くにあたって、
宇宙通訳を一緒に学んでる
魂友に私に聞きたいことがある❓と聞いた。
そしたら、プライベートでの私と
宇宙通訳の講座を受けてる時の私に
ギャップがある と笑
それはなんで?と質問を受けたので
そのことについて書いてみようと思う。



私って、めっちゃ自由人で、適当人間だし、人の話をあんまり聞けなかったり、怒りっぽかったり、多動でまあ自己中で、かっこつけてたい、
そんな〝どうしようもない人間〟なんだよね 笑


それなのに、職場での立場、生徒の立場とかに
いわゆる社会での自分となった時に
それがバレるのがいやで、
「こんな自分じゃいかん。しっかりした、普通の人を演じるんじゃ」
という謎のスイッチが発動。笑

優等生でいれば誰も傷つけないし傷つかないと思ってきた。

なんでバレるのが嫌なのかというと、
どこかいい人に見られたいと
いう気持ちだったり、怒られたくない、
それ違うよ間違ってるよ
って言われたくないとか
変な風に高いプライドと 
素の自分には価値がないんだ、、、。と
思っていることに気づいた。


その自由人で適当で自己中は自分は一番自分が
許せていないんだ。
恥ずかしいと思ってるんだ。


あ〜自分から闇を消しさりたいよ、
聖人君子になりたい病 笑




これを質問されたってことは、
どうしようもない自分と思っていた
自分が外に出ちゃってるんだよ笑
自分で隠しこれたと思うかもだけど、
もうバレバレ✖︎100みたいだ 笑


ただこれを書いていて思ったのは、そんな自分はほんとに価値がないのかな❓


こんな考え方をちょうど聞いたところ。
〝あと3ヶ月で人生が終わるとしたらどう生きる〟
最後まで演じてる優等生を生きたいか?

答えははっきりNO‼️





自己中なのは、自分の意見をしっかり持っているとこいうところ

自由人なのは、本来全ては自由であることを
知っているということ

適当人間なのには、おおらかで生きられる
ということ

怒りっぽいのは、情熱があるということ

人の話を聞けなかったり、多動なのは
自分の中に夢中になるものがあったり、
興味あるものが多いということ

かっこつけたいというのは、
優劣なく誰もが自分が一番で輝けるということを知っているということ


こんな風に考えたら、ちょっと自分、
いけてるんじゃない!?って思えてきた。


もういい加減さ、優等生のふりは十分頑張って
きたよー!
本来のどうしようもないと思ってる自分とも
一緒にさ、生きてこうよ✨



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