無職ライフ終了!これからは毎日絵を描きます。
無職生活を続けてきていた私。
ついに再就職が決まり、昨日より働き始めました。
半年のブランクがあるので、すごく緊張する。
ここでだめだったらもう社会性がないとということでどこか組織に雇われるという働き方の選択肢は今後一切捨てよう。
これが最後の就職だ。
そういうつもりの就職であるので余計に緊張していた。
だが、いざ入ってみたらあら不思議。
身体が軽い!
水を得た魚のように、俺に仕事くれくれカモン!な感じで身体が動いていく。
心も軽い。
なんといっても今日から給料が振り込まれるのだ!
給料って素晴らしい。
その組織の一員になるという不自由さの代償とともに、しかし生きていくための金をくれる。
この数ヶ月は失業給付金で生きてきた。
ありがたい。働かなくても命を救ってくれる。
でも、ベーシックインカムをもらって暮らす暮らしは期待していたようなスガスガしい心持ちにはならなかった。
奴隷の時間を過ごさなくていい、何したっていいんだよ、とはいうものの、そんな崇高な時間の過ごし方が出来ていただろうか?
働いていれば、自分の時間というのがとても貴重で崇高である。
ただ自由な時間というだけで、どんな風に使ったって、その時間はありがたく嬉しい。
だが、その対比がないと、好きなことをしている時間でも、それが崇高には思えない。
たとえば、朝日を感じながらのコーヒータイムだとしても、これが働いている日々であれば、貴重ですがすがしいプライベートタイムである。
でも無職だと、無為な時間の一種に感じる。
それに気持ちよく金を使えない。
使わないと、人生が前に進まないように感じるから、それなりに使うんだけど、やっぱり気持ちはあんまりよくないかな。
あとはテーマをもって暮らすことだろうか。
時間がある間に過去の激動の体験の手記をまとめたいと思ったけど、結局過去の思いは過去の思い、今更温度感を持って取り組めないことに気づき、どんなに忙しくても、毎日の思いは一日ごとに記しておくのが正しい、そう思い至った。
せめて絵を描こうと思った。
「自分の薬をつくる」坂口恭平は、すごく参考になった。
自己表現も創作もウンコでいいんだ、と。
ウンコ出さないと糞詰まりで死んでしまう、だからとにかく出す!
そのマインドはとても重要。
うまく書こう、うまく描こうとするから、筆が止まる。
今の私の等身大のウンコ、そう思えば、別に上手い必要もないし、人の役に立つ必要もないし、うまいこと言えてなくも、微塵も面白くなくても、斬新でなくてもいいわけだ。
それでも未来の私にとっては価値があると思うし、もしかしたら似たような立場にいる他の誰かにとっても、「おからだって、みじんこだって、みんなみんな生きているんだ」って感じで、頑張って生きているオカラの存在感を示すことで、うっすらとした励ましになる可能性だってある。
というわけで、ペンタブ買って初の今日の絵はシーラカンス。
なんかシーラカンスに惹かれるので。
でもどこにウンコを振りまいていくべきだろうか。
それはちょっと考える。
インスタか・・・NOTEか・・・