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Colony-6-

第六話 顔合わせ


浴場から三好さんと会話を交わしながら廊下に出ると、私は足元に残る汚れに目がいった。
黒いインクのような丸い痕がいくつも連なって、一メートル先まで続いている。
私の視線で汚れに気付いた三好さんは、持っていたキッチンペーパーを水で濡らし、さっと床を拭き上げた。

「このように、集団行動をしていると何処でどんな汚れがあるかわかりません。常に目を光らせて、綺麗に保つのが私たちの務め。特にここで働いていると、汚物や血痕はよく目にすると思いますので、慣れていくとは思いますが。」

あまりに涼しい顔をしてその場を立ち去ろうとするので、一瞬聞き流しそうになった。
けれど改めてその言葉を反芻してみると、彼の言葉でさっきの汚れの正体は時間が経った血痕であったことに気付かされる。
背筋にぞっと悪寒が走った。
やはりこの屋敷は何かがおかしい。
頭の中では逃げたいという意思も湧き上がる。
けれどここから逃げたところで、行く宛もない。
暗い山道で遭難する可能性だってある。
何よりこの屋敷の存在を知った上で逃げれば、きっと華怜様の怒りは収まらない。
生きて帰ることはどうやっても難しいだろう。
じっとりと掌に汗をかきながら、私は力一杯その手を握りしめた。

「夕食になるまで、食堂の掃除をお願いします。床掃除やテーブルの用意。食器の磨き上げ・・・」

食堂に入ると、私は再び部屋の豪華さに圧倒される。
解放感のある大きな窓がいくつも並び、広い部屋には大きな奥行きのあるテーブルがひとつ。
最奥に椅子が一脚置かれ、その両側には対面するように何脚もの椅子が対になって置かれている。

「食事はいつも、全員でお召し上がりに?」

私の小さな疑問にも、三好さんは嫌な顔一つせずに頷く。

「えぇ。それが華怜様のご命令ですから」

彼女の考えが、余計にわからなくなる。
同居しているとはいえ、ここに住む男性は全員華怜様の支配下にあるのだから、言ってしまえばライバル。
仲良くすることを望んでいるわけでもなさそうなのに、何故顔を合わせる機会をわざわざ作るのだろうか。
さっきの様子からして、華怜様は日によって自分の傍に置く玩具を変える。
選ばれた人間と選ばれなかった人間が混在する中で、ライバルを意識させることが目的ならば、いささか悪趣味にも思えた。


三好さんに指示された通り、清掃やテーブルの準備をしていると、いつの間にか辺りはすっかり陽が落ちていた。
頭上にある豪華なシャンデリアが、食堂に明かりをもたらす。
磨き上げた銀食器は、新品かのように輝きを放っている。
やがて部屋の隅に置かれた振り子時計が、午後七時を告げる鐘を鳴らした。

「皆様が食事に参られます。食事をお出しする準備をしてください。」

三好さんに声をかけられて、厨房に移動した私と入れ違いに、続々と住人が食堂に現れた。
各々好きなところに腰を下ろすと、他愛もない雑談が始まる。
いつの間にか光輝さん以外の住人も帰宅していたようだ。
集まればピリピリとした空気になるかと思いきや、意外にも、そんな空気は一切見受けられない。
それどろか、まるで本当の兄弟かのように和気藹々としている。
常人の私には、やっぱり理解できない心情だ。

「お、こいつか。光輝が言ってた新しい給仕係って」

一人一人の席にナプキンを置いて回る私に、とある住人が声をかけた。
見た目は肌が黒くてパーマのかかった明るい茶髪。
明らかに自分からは関わらないタイプの人間だ。
おしゃれに敏感なのか、やたらとアクセサリーを身に着けている。
勝手な偏見で、この屋敷にいる男性はみんな大人しい感じの性格なのかと思っていた私は、女性慣れしていそうなこの男性がいることに面食らっていた。

「不躾だよ亮。少なくとも世話にはなるんだ。こいつ呼ばわりは相応しくないだろう」

光輝さんは私と視線を合わせずに、男性を咎めた。
さっきの一件で、光輝さんは私に敵対心を持つのをやめたのかもしれない。
慣れない生活で、頼れそうな相手が出来るのは心強い。
亮と呼ばれた軽そうな男は、いつもの事と言いたげな様子で、静かに手を顔の前で合わせると私に頭を下げた。
どうやら根は悪い人ではないらしい。
何とか作り笑顔を浮かべて、私は他のテーブルに回った。
一見普通のどこにでもいる様な、気弱で常にビクついている真面目そうな眼鏡の男性。
毛玉がところどころについた服を着て、洋書を読んでいる男性。
そして何も言わずに俯いたまま、存在を消すかのように座っている男性。
それぞれ個性が強く、すぐに名前と顔を覚えられそうだった。

準備が全て整うと、華怜様が軽快にヒールを鳴らして部屋から降りてきた。
その瞬間、さっきまで会話を交わしていた男性たちは急に静かになり、全員が一度席を立つ。
華怜様が腰を下ろすと、再び全員が着席。
この一連の流れが、いつもの食事の光景だという。
控えめな音量で流れるプッチーニ。
結局、食事が始まり華怜様が部屋に戻るまで、誰一人として言葉を交わす者はいなかった。