Colony-3-
第三話 面会
主である華怜様の部屋は、この館の最上階。
三階までの道のりに、絨毯張りの階段が続いている。
外観からは少し年季が入っているように見えたが、館の中はとても綺麗に磨き上げられていた。
「潔癖症なもので、少しでも汚れていると落ち着かないのです」
確かに三好さんは、出会った時からずっと黒革の手袋をはめている。
素手で物質を触ることが、何よりも嫌いだと苦笑いを浮かべた。
静かに階段を上り切ると、長い廊下を進み、突き当りの部屋へ向かう。
扉の前で数回ノックをすると、三好さんは主の合図を待ってから金色のノブを回した。
部屋の中は想像よりも家具や物が少なく、心なしか寂しい印象を与えた。
クイーンサイズの大きなベッド、小柄なドレッサー、クローゼット。
どれも黒やワインレッドという落ち着いた色で揃えられていて、統一性が余計に部屋をスッキリと見せている。
大きな窓の傍に、ポツリと置かれたロココ調の一人掛けの椅子。
そこに一人の若い女性が座り、窓の外を眺めていた。
日当たりがいいせいか、自然光が入れば照明がいらない程、明るい。
立派な主寝室の造形に、庶民の私は圧倒されたまま言葉を失っていた。
「華怜様、こちらが新しい給仕係の末永です」
三好さんに促され、我に返った私は主の前に歩み寄り、頭を下げた。
身体に入った無駄な力が未だに抜けきらずに、不格好な動きをしてみせた私に、華怜様は少しだけ口元を緩める。
「三好に習い、よく励め。何かあったら声をかける」
陽の光に照らされた彼女は、まるで天使のように可憐だ。
それでいて、どこか浮世離れした妖艶さを兼ね備えている。
長い黒髪は艶やかに輝き、白い肌を際立たせた。
色素の薄い瞳を見つめていると、吸い寄せらるように自我を失う。
怪しげな洋館の雰囲気に、酔い始めているのだろうか。
「まずは四条家のしきたりに慣れて頂かねばなりませんね」
脳内に靄がかかったように、華怜様を見つめながらぼうっとしていた私は、三好さんの声で再び我に返る。
ここへ来てから、なんだか自分の様子がおかしい。
普段から気が弱く、周りの目線や状況を気にする私が、何度も注意力を散漫させている。
この館には何か特別な仕掛けでもあるのかもしれない。
そう考えた途端、背中に嫌な汗が流れていく。
もしかしたら本当に、とんでもない処に迷い込んでしまったのか。
三好さんの微笑みさえ、不気味に思えてくる。
「四条といえば、先ほどの男性も、確か・・・」
ふと三好さんの言葉を反芻して、気付くことがあった。
この館の主が四条ならば、先程玄関で会った男性は、華怜様のご兄妹なのだろうか。
「おや、記憶力が高いのは関心ですね。光輝さんは華怜様のご親戚に当たる方なのです」
親戚であるという事実に、私は大きく納得していた。
どうやら四条家は美形の一族らしい。
光輝さんも華怜様も、性別に関わらず大層な美貌を持っている。
これを血統と言わずに、何というだろう。
「既に光輝と顔を合わせているのか」
一瞬、華怜様は眉をひそめた。
三好さんはその表情の変化に気付いたのか、そそくさと華怜様の前に出て床に正座で腰を下ろした。
少し俯いた格好で頭を下げると、自らの膝に両手を握りしめて置いている。
大きく息を吸い込んだ後、彼は華怜様に告げた。
「申し訳ございません。道中、部屋から降りてきた光輝さんに鉢合わせてしまいました」
報告が終わると同時に、華怜様はフッと小さく笑みをこぼしたかと思うと、そのまま右手を振り上げた。
大きな音を立てて、右手は三好さんの頬を打ち付ける。
突然の衝撃的な光景に、私は驚きで目を見開いたまま言葉を失った。
「新たな者が入る時には、必ず一番に私に会わせろと言っているだろう」
椅子に座りなおした華怜様は、不機嫌そうな声色で脚を組み直す。
赤く腫れあがった頬を押さえながら、三好さんは再び頭を下げた。
理不尽にも取れる主人の言いつけと、それに伴う罰を甘んじて受け入れている。
あまりの不自然さに、開いた口が塞がらない。
私が光輝さんと会ったことを口にしなければ、三好さんが華怜様の逆鱗に触れることはなかっただろう。
何も知らなかったとはいえ、自分のせいで殴られることになった彼に対して、申し訳なさでいっぱいになった。
華怜様は怒りが治まったのか、三好さんと私を部屋から出るように促す。
一礼して下がろうとする私たちに、華怜様はぼそりと一言つぶやいた。
「三好、今日は六を呼んで」
数字が何かの暗号なのだろうか。
三好さんは短く返事をしてから、静かに部屋の扉を閉めた。
「すみませんでした。まさかこんなことになると思わなくて・・・」
廊下を歩きながら、私は三好さんに頭を下げた。
思い切り打たれた頬は痛々しいほどに赤く染まり、その衝撃を物語っている。
彼は顔色を変えることなく、首を横に振った。
「言いつけを守れなかった私の落ち度ですので、何も謝ることはありません」
そうは言っても、偶然ばったりと会ってしまったことを咎められ、挙句殴られているのに理不尽だとは思わないのだろうか。
心には思っていても、ここに来たばかりの私はそれを口に出すことが出来ない。
部屋で耳にした”四条家のしきたり”も、私はまだ何一つとして把握していないからだ。
「この後は部屋で、少しお話をしましょう。ここで働いて頂くために必要な注意事項です」
階段を下りる足取りは、上ってきた時よりも重かった。
それはひとへに、この先の生活を不安視する私の心が現れていたのかもしれない。