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Colony-4-

第四話 しきたり


部屋に戻ると、三好さんは私を椅子に座らせた。

「まずはここで働くために、四条家について知っておいて頂きたいことが山ほど御座います」

給仕係の部屋の壁は、一部が黒板になっている。
その日にしなければいけない事、誰かに頼まれたことを忘れないように書き込める仕様だ。
白いチョークの音が、静かな部屋に軽快に響く。
私は彼の書く文字を必死で自分のメモに書き写していった。

「まずは第一に、私たちは華怜様の使用人でございます。華怜様の言いつけは絶対。どんなことでも歯向かうことは許されません」

その言葉に、どうしても視線は彼の頬に向かう。
あんな風に殴られても、決して反抗することは許されないのだ。
現代社会ではコンプライアンスが浸透し、会社内部でのパワハラやセクハラの訴えは昔よりもしやすくなっている。
誰しもが働きやすさを求める時代だ。
けれどここでは、そんな感覚は通用しない。
特殊な世界であることを、私は段々と知ることになる。

「時に末永さん。蜂の生態系をご存じですか?」

一通り黒板に文字を書き終えると、三好さんは手袋についた汚れを拭きとりながら窓の外を眺めた。
中庭には、手入れされた立派な庭園があり、何種類もの花が大輪を咲かせている。
その花に群がる蜂を見て、彼はそんなことを口にしたのだろうか。

「あまり詳しくは・・・。女王バチ、働きバチ、雄バチと役目が別れている事くらいで」

私の返答に満足げに頷くと、彼は再び私の方に向き直った。

「その通り。この館も、それと同じ。ここに住む女性は華怜様ただ一人。そして同居する男性たちは全て華怜様の愛玩具です」

一瞬、三好さんの言わんとすることが理解できず、私は顔をしかめた。
人間を”玩具”と呼ぶような世界に、今まで身を置いたことはない。
私の反応に、三好さんは少し困った表情を浮かべる。

「ここにいる男性は皆、華怜様のために存在しているのです。私も、そしてあなたも。私たちは給仕係ですから、玩具の男性方とは少し違いますが・・・。それでも、最終的にたどり着く部分は主のためですから」

それまで普通の人間として常識のなかで生きてきた私。
彼の言っていることは私の理解できる範疇を、ゆうに超えていた。
有り余るほどの財力を手にした人間は、他人を玩具として扱うことが出来るらしい。
この屋敷にやってきて一時間。
見聞きするもの全てが恐ろしく濃厚で、圧倒されてしまう。

「華怜様の愛玩具の皆様には、それぞれ番号が振られています。」

説明を受けて、私の中の疑問が一つ晴れた。
初めに会った光輝さんの”四号”。
そして部屋で華怜様が口にしていた”六”という暗号。
それらは全て、この家に住む男性たちの通り名だったのだ。
一人の女性を囲う男だけの空間。
そんな世界は映画や創作物の中以外で目にしたことはない。
しかし今私の目の前で、起こっていることなのだ。
実際に全てを目の当たりにした訳ではないので、未だに半信半疑ではあるものの、何だか妙に腑に落ちる部分はあった。

華怜様の妖艶さに、絆される人間が多くいるのは解らなくもない。
自分もあの時、三好さんが声をかけてくれなければ、おかしな感覚に抗えていなかったかもしれないからだ。

「男性たちには生活している内に顔を合わせるかと思いますので、その時にはご挨拶さし上げてください。」

この館で生活しながらも、ちゃんと社会人として働く人間もいるらしい。
衣食住は全て四条家で賄われるため、言うなれば紐状態。
それでも男たちが一般の人間のように働くのは、何の意味があるのだろう。

「それでは、私は食事の用意がありますので、代わりに光輝さんに館の中の案内を頼んでおきます。全て回り終えたら、浴室の掃除をお願いします。」

三好さんは光輝さんの部屋まで私を案内した後、そそくさと自分の仕事に戻っていった。
あっという間に部屋の前に取り残された私。
緊張で手汗をかきながら、扉の前で立ち尽くしていた。
光輝さんは自分よりも若く、そこまで気性が荒い印象はなかったけれど、新しく入った人間の世話をするのは、鬱陶しく感じる筈。
華怜様のように、機嫌を損ねて殴られてしまうかもしれない。
親戚といえば、この館で一番華怜様に近い存在。
本当にこんな雑用を頼んでしまってもいい方なのだろうか。

少しの間ぐるぐると頭を巡らせていた私の前で、扉は一人でに音を立てて開いた。
思わず驚いて身体を反らすと、中からは扉を開けた光輝さんが顔を出している。

「何しているの?気配がうざったいんだけど」

怪訝そうな表情で私を少し睨む。
慌てて三好さんに言われた指示を伝えると、彼は面倒くさそうにため息をついた。

「三好はすぐに僕に雑用を押し付ける。もう少し考えてほしいものだよ」

特に自分が悪いわけでもないのに、光輝さんの態度に思わず肩身が狭くなる。
小さく謝罪の言葉を口にした私を一瞥すると、彼は黙ったまま私の前を歩き始めた。