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愛することと怒ること〜『オキナワより愛を込めて』を見て〜

宗利風也(95年生まれ、東京都出身)

 せっかくの三連休だから何かしたいな、そうだ、映画でも観に行こう。よく行く映画館の上映時間をチェックすると、ちょうど良い時間にやっていたのは『オキナワより愛を込めて』だった。沖縄を代表する写真家・石川真生さんのドキュメンタリー映画だ。ただ、私の勉強不足で、何やら有名な賞を獲った写真家という情報しか知らず、作品は見たことがなかった。観ればわかるか。あらすじも読まず、何の事前情報もないまま映画館に足を運んだ。

  著名な写真家のドキュメンタリーだから小難しい映画なのかなと身構えていたが、全然そんなことはない。自分が撮影した人物との思い出話がメインで、何と言えば良いのか、若い頃の恋人たちとの歴史が大部分を占めていた(と感じた)。

 石川さんは、1953年生まれ。72年の復帰運動に参加し、運動ではない別の道で沖縄を表現したいと感じ、写真家になると決意。米兵を撮るために「黒人米兵バー」で働き始め、黒人米兵やバーで働く女性たちを撮り続けた。

 最初は黒人がみんな同じ顔に見えたと話す石川さんだが、彼らを知っていくうちに黒人米兵と恋仲になっていく。「私面食いだから」「彼はすごいかっこよかったわけ」…。自分の撮影した写真を振り返りながら昔の彼氏を語る石川さんの姿に驚いた。勝手にエラい人だと想像していたが、とんでもないパンクな人だった。結婚を断ったら逃げても逃げても追いかけられ、最後は刃物を突きつけられて脅されたが、「結婚するから今日は帰ろう」と言って逃げたという強烈なエピソードも話していた。

 こうしたエピソードをひとしきり語った後、石川さんはこう言い切る。

「米兵愛してる、米軍大っ嫌い、これが二つとも私。いいじゃない、それで。」(パンフレットより引用)

 痛ましい事件が起こるたびに、「全ての米兵が悪いわけではない」と声が挙がる。一般論としてそれはそうだと思う。でも、石川さんの発言はそうした次元の話ではない。良い米兵もいるからと米軍の存在をうやむやにしていくのではなく、米兵を愛しつつも、米軍の存在にNOを突きつける。愛と怒りが両立するからこそ、人の胸を打つ何かが生まれるのだと感じた。自分も何かをしたいと心から思わせるような、そんな何かが。

 映画を見ながら、ちょうど同じタイミングで読んでいた、小松理虔さんの『新復興論』(ゲンロン、2018年)が頭に浮かんだ。福島の原発事故の当事者である小松さんが、復興に向けて行なってきた自身の取り組みを紹介する本だ。東京育ちの私だが、父が広島出身で何かにつけて原爆の話を聞いて育った。それで原発事故には関心があって小松さんの本を買ったのだが、分厚さに躊躇してずっと読めていなかった。せっかくの三連休だからと本棚から引っ張り出した一冊だ。

 思い出したのは、小松さんが地元いわき市のかまぼこメーカーで働いていた時のエピソード。事故が起きてすぐのころは、放射性物質の不安から、いくら安全性を証明しても福島の食べ物が売れない。県内のメーカーの多くがマイナスイメージを払拭するために「食べて応援しよう」といった売り方を採っていた。しかし、小松さんはこの売り方をしたくなかったと語る。福島が復興し、被災地でなくなったら応援してもらえなくなると考えたからだ。風評被害を払拭するためではなく、食べて美味しいと感じ、背景にある原発事故に興味をもってもらいたい。そんな売り方ができるよう、試行錯誤したそうだ(詳しくは読んでみてほしい)。

 被災地の負の側面をみるだけでなく、福島を楽しんでほしい。でもそれは、原発事故をなかったことにしたいわけではない。まず福島を好きになって、そこから原発事故や被災について考えてほしいのだと小松さんは書く。そうしなければ、福島はいつまでも被災地者であることから抜け出せなくなってしまうから。

 小松さんは、福島を楽しむことと原発へ怒ることを共存させようとしている。石川さんとは違うアプローチだし、伝えたいニュアンスも違うのだけれども、2人とも、何かを楽しんだり愛したりしつつも、その背景にある不平等や被害に怒ることを語っていると感じた。愛と怒りが両立するアンビバレントさ。日々流れてくる嫌なニュースに辟易するだけの自分に足りていないのは、この感覚なのかもしれない。

 特に、愛すること。3年近くあなたの沖縄に関わってきたが、自分は沖縄を愛しているのだろうか、沖縄の何が好きなのかと振り返る。大学時代にあなたの沖縄代表の西さんに出会って、沖縄の話を聞くたびに興味が出てきて今に至るわけだが、沖縄のどこに惹かれているのだろうか、と。

 沖縄を愛することを考えていて、パッと思い浮かんだのがあなたの沖縄ZINE vol.2の「ジャーマンケーキ図鑑」という企画。筆者のさまよう蟹さんが各社のケーキをレビューし、自身の愛するジャーマンケーキへの思いをコラムに綴っている。一度は地元を離れ関東で就職したが、子どもの頃から狂おしいくらいに好きだったジャーマンケーキを気兼ねなく食べたくて沖縄に帰ったと言う。ZINE vol.2の中でも屈指の人気企画で、「ジャーマンケーキを食べたくなった」との感想が相次いだ。(かく言う私も、この企画を読んでジャーマンケーキを食べた1人だ。)

 この企画で特に好きなのは、各社のジャーマンケーキの採点が「ココナッツ」「アメリカン」「チョコレート」の3つを軸にしているところだ。「ココナッツ」と「チョコレート」はわかる。ジャーマンケーキのメインだ。でも、「アメリカン」って何なのだろうか。指標として見たことはない(ジャーマンケーキ好きの人は、アメリカンだと言われて納得するものなのだろうか)。それなのに、「ジャーマンケーキのアメリカンを感じてみたい!」と思わせられてしまうから不思議だ。実際に食べて見てもアメリカンだなとはまだ思えていないが、さまよう蟹さんの溢れ出るジャーマンケーキ愛に触れて、自分にとってもジャーマンケーキが大事なものになっていくのを感じた。

 ジャーマンケーキは米軍の存在がなければ沖縄にない。ジミーの創業者・稲嶺さんが米軍基地で働いて見たアメリカの豊かさを県内に届けたいと、1956年にジャーマンケーキを売り始めたそうだ(日経の記事より)。ジャーマンケーキの始まりには、沖縄が強いられてきた負の歴史がある。そんな事実も、ジャーマンケーキを食べたいと思わなければ調べることもなかった。

 もっと沖縄を知り、好きになっていきたい。そんなことを考えた3連休であった。

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