「ゴクツブシ」から「ごっくん」へ〜僕の沖縄ラジオ小噺〜
ゴクツブシ(92年生まれ 神奈川県出身)
2022年3月22日、早朝……。僕は一世一代の「戦い」に臨むべく、スマホの画面を凝視していた。それはもう、「穴が空くくらい」という表現がぴったりなほどに。例えるなら、そう、砂浜に立てた旗を奪い合う「ビーチフラッグス」が近いのかもしれない。予定時刻の午前7時になるやいなや、たった50本だけ用意された「旗」は瞬く間に姿を消した。苦手な早起きのかいもあり、幸いにして僕も「旗」を手に入れることができたようだ。仕事もある平日の朝であったが、もうこれだけで、その日の山場は越えたといっても過言ではない——。
いったい何の話をしているのか。「旗」とは他でもない、RBCiラジオで平日午後2時から放送している番組「具志堅ストアー」のリアルイベントのチケットのことだ。購入画面でやや手間取ってしまい、出演メンバーとの写真撮影が許される12名のみの「S席」は惜しくも逃したが、通常席である「A席」を無事手中に収めた。席番号「27」は、50人中27番目に購入手続きを終えたことを示すのだろう。時間ぴったりにアクセスしたにもかかわらず、番号は後半。改めて「激戦」だったことを思い知る。その日の放送でも言っていた「6分で完売」の噂はだてじゃない。
ラジオとの出会い
ラジオを聴き始めたのは、小学生の頃。家にあった懐中電灯付きの防災ラジオでFM横浜を夜な夜な流していた。そんな僕を見かねてか、小学5年生の時に、両親がクリスマスプレゼントとしてトランジスタラジオを買ってくれた。
まずは元々聴いていた地元FM横浜の朝や夕方の番組から。中学生になりサザンオールスターズにハマり始めると、「桑田佳祐のやさしい夜遊び」が毎週の楽しみになった。その後も山下達郎、福山雅治、YUKIなど、大物ミュージシャンの番組を聴くことが増えたが、いかんせんビッグネームばかり。数回送った投稿も読まれることはなく、あくまで遠い遠い、憧れの世界での出来事であった。
ラジオにハマってから十数年後。僕は沖縄の大学院に進学した。沖縄は「車社会」で、全国でもラジオの聴取率がトップクラス。6畳一間でなんの娯楽もなかった寮生活は、ラジオ王国沖縄の沼に徐々に浸かることになる。
地元でも聴いていたJFN系列の番組を聴くために、FM沖縄に周波数を合わせると、HYが自身の曲名と同じ「AM11:00」(=午前11時)スタートの冠番組を持っていたり、MONGOL800やORANGE RANGE、かりゆし58のメンバーが週替わりで登場する番組があったりと、全国区で名を知られるアーティストがローカル枠で登場する豪華さに驚かされた。僕にとっては小学生時代からのスターの渋滞だった。聴かない手はない。孤独な休日も瞬く間に彩られた。
「キャラが濃すぎる」沖縄のラジオパーソナリティー
院の授業は午後から、遅いときは夕方から始まるものも多く、授業までは自室でラジオをつけっぱなしにして、ひたすら番組をはしごすることが増えた。毎日しっかり起きて聴いているというわけでもなく、ひどいときは午後まで寝ていることもあったのだが、そんな日でも午後2時ごろから響き渡る、女性パーソナリティの甲高いハスキーボイスには否応なく起こされたものだった。
声の主はもちろん、既に県民的な知名度を誇っていた「ミキトニー」こと糸数美樹さん。組むのは今も現役の「局長」こと西向幸三さん……。そう、ご存じ「ゴールデンアワー」との出会いである。思えばこのときが完全にローカルの、沖縄ラジオの沼に足を取られた瞬間だった*¹。
数年後のある日、仕事の現場に入っていると、作業員の男性が持ち込んでいるAMラジオから、聞きなれない男女2人組のトークが聞こえてきた。アナウンサーと思われる男性の口調はやや中性的、女性はミキトニーのような中部訛りはそのままに、声質は対照的なクリーンボイス。声の主は、それぞれ県内を代表するアナウンサーとタレントである、狩俣倫太郎さんとくだかまりさん。番組名はジングルから、「MUSIC SHOWER Plus+(ミュージックシャワープラスプラス)」と言うらしい。僕はその作業員男性が持ってくるAMラジオの音声に(いや、女性パーソナリティの美声に……)、いつしか毎日のように聴き入るようになった*²。
しかし、このころはまだまだ、日常のBGM程度の域を出ない所謂「聴くだけリスナー」。そんな僕が、毎週のようにメッセージ投稿に血道をあげることになるきっかけは、ある1人の同世代パーソナリティとの出会いであった。
ラジオネームの「改名」が縮めた距離感
パーソナリティーは沖縄県内で女優やタレントとしてマルチに活躍している真栄城美鈴さん。毎年夏に沖縄テレビ(OTV)で放映されるホラードラマ「琉球トラウマナイトレジェンド」に出演してるのを見て、彼女の熱演に心を奪われた。それから、彼女が出演する「具志堅ストアー」を熱心に聴くようになった*³。
徐々にメッセージも送り始めるようになるが、ここで決定的な出来事が起こる。真栄城美鈴さんが単独で冠番組を持つというのだ。その名も「シンカの学校」である。
「シンカ」には、進化、深化、真価、さらには方言で「仲間」を意味する「シンカ」など、様々な意味が込められているという。番組内容はリスナー投稿の即興ラジオドラマの朗読など、より美鈴さんのコアな部分に迫れるものになっているが、さらに大きな特徴は、放送終了後の「部活」と称する有料会員向けの配信だ。ここで美鈴さん本人や番組ディレクターとリスナーが、今後の放送の方向性などを話し合っていく。ラジオ界でも初の試みというが、このような実験を可能にしてしまう沖縄ラジオ界や芸能界、恐るべしと言うしかない。実際、僕も迷わず会員になってしまった。
「ゴクツブシさんなら、『ごっくん』でいいかな〜??」何度かメッセージを送るうちに、美鈴さんは放送内で直々に呼び名をつけてくれた。こうなったらもう……である。「シンカの学校」が始まる金曜8時は、ラジオの前にいないと落ち着かない。こんな感覚は、かつて桑田のラジオを毎週欠かさず聴いていた中高時代以来だ。毎週金曜は放送開始直前まで、必死に投稿メッセージの作成に勤しむようになった。
ラジオを通じて、間違いなく自分の世界は広がった。公開生放送などラジオそのもののイベントのほか、パーソナリティそれぞれが出演する舞台や映画、お笑いやバンドのライブなど、常にアンテナを巡らせるようになった*⁴。
ラジオ沼のみならず、沖縄のローカル芸能界そのものの沼にじわじわはまり込んでいく「ゴクツブシ」改め「ごっくん」の姿がそこにはあった。
来月、僕はしばし沖縄、および日本も離れることになる。理由は年齢制限ギリギリとなったワーキングホリデー。行き先はニュージーランドだ。せっかくならと、僕をRBC沼に引きずり込んだ「MUSIC SHOWER Plus+」へそのことをメールで送ってみたところ、無事採用頂いた。バターがとてもおいしいと狩俣倫太郎さん。「ワーキングホリデー」を沖縄風の平板イントネーションで発音し場を和ませるくだかまりさん。まさに、数年前に仕事の現場で惹き込まれ、憧れてもいたあの「ミューシャ」の世界そのものだ。
もう出発まで1ヶ月を切っているが、退職して中途半端に時間ができた分、アパートの片付けもそこそこに、ラジオ生活に拍車がかかってしまっている。RBCiラジオは放送の様子をYouTubeでも流す番組が多いので、向こうに行ってもきっとスマホを「穴が空くくらい凝視」しながら、メッセージ作成に勤しんでいることだろう。ラジオだけでもさまざまな思い出が詰まった沖縄とのしばしのお別れは、とても寂しい。思い返せば僕の沖縄生活はまさに、ラジオリスナーとしての日々でもあったのだ。
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