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私のタイムスリップ

S(92年生まれ 長崎県出身)

長崎出身の私は、20代のうちの4年間を沖縄で過ごした。

沖縄を離れて5年たったこの夏。かつて暮らしていた那覇の街を仕事のため久々に訪れることになった。

住み慣れた“ホームタウン”に行けることが決まり、はじめは嬉しさしか感じていなかったが、実際には意外な気持ちを味わうことになる。

目に映るいろいろなものが変わっていたのだ。

まず、那覇空港に到着後、ゆいレールに乗るときにSuicaを使ってキャッシュレスで改札を通れたことに感動した。

私が住んでいた5年前までは、いちいちQRコードのついた紙の切符を買って改札で読み取り、降りるときには切符を小さな赤いバケツに捨てていた。今では地元の人も観光客も、交通系ICのタッチだけでなめらかに改札を通過している。
ちなみに、終点の駅はてだこ浦西。私が住んでいた頃、永遠におこなわれているように感じていた延伸工事は、いつの間にか完了していた。

街並みも変わっている。

国際通りの中央に、見上げると首が痛くなるぐらい大きなホテルができている。

生活していた新都心エリアを歩くと、ナハテラスの新館ができていて、5年前はここに何があったか数秒考えて、青い屋根のマンションの姿が頭に浮かんできた。古いマンションではなかったのに、取り壊され、もうここには存在しないんだ。

そのすぐそば。かつてスマホの修理をしてもらったドコモショップと、那覇で暮らすことになったとき住まいが決まるまで滞在していた懐かしい東横インがある。その間に、見慣れない新しいビジネスホテルが建っていた。
このホテルがあった場所にも、5年前は別の何かが建っていたことは確実だ。それでも、足を止めて数分考えても思い出せなかった。

街のあちこちの隙間に、新しいマンションやホテル、店が建っていた。

自分の“ホームタウン”を訪れたはずが、もはや、そう言えなくなっていると感じた。
もちろん、街の大部分は変わっていないはずだけれど、曲がり角を曲がるたびに、懐かしい景色よりも見慣れない部分のほうが目に飛び込んできて、“私の街”と呼ぶには、知らないものが多すぎる。

「未来にタイムスリップしてきたみたい…」

思わず、つぶやいた。

よく知っている場所のはずなのに、自分の頭にある景色と違う。どこか寂しさを感じた。

その気持ちが、少しだけ、変わる瞬間があった。

首里方面へ向かうバスに揺られ、車窓から坂道の街を眺めていたときのこと。

「この席は、いいねぇ」

自分に話しかけられたと思わなかったが、隣を見るとおばあさんが確かに私のほうを見ている。

「いちばん後ろの席は足を伸ばせるからいいねぇ」

隣に座ってきたおばあさんが、まるで知り合いかのように自然に話しかけてきたのだ。

私は面食らったが、「そうですね」と返した。

すると、おばあさんは、「家族は前に座ってるけど、私はここにしたわけ」と話し続ける。

なんなんだ。自然すぎる。
おそるべしコミュ力、沖縄のおばあ。


別の日。

私は浦添のメイクマンで買い物をしたあと、店の前で人を待っていた。

「何時かね?」

買い物カートを押したおばあが、またしても突然話しかけてきた。バスで話しかけてきたおばあとは別人だ。

このときも自分に話しかけられていると思えず、私の隣に知り合いがいるのかもしれないと思った。

しかし、おばあは私を見ている。

「何時かね?」

おばあは私の腕時計を指さした。

「あ、3時50分です!」

あわてて腕時計を見て答えた。

今暮らしている東京では、こんな経験をすることは無い。

時間や道を聞かれることがあるとしても、「あのー、すみません」とか、「ちょっといいですか」とか、何かしらの断りがあるだろう。

しかし、沖縄のおばあたちは、他人でも古くからの知り合いのように、スッと会話を始める。

驚いたけど、じわじわと嬉しくなった。

急速に変わっていく景色のなかで、おばあたちは自分のペースで生きているのだ。

そうそう。これこれ。

一気に、沖縄で暮らしていたときの空気がよみがえってきた。

いろいろな街や店や道端で触れた、他人だけど他人じゃないような温かな空気。

おばあに話しかけられたことで、“異物”だった自分が、少しだけ、自分が暮らしていた頃の沖縄に溶け込んだ気がした。

私にとって今の沖縄は、未来にきたようにも過去に戻ったようにも感じる場所だ。

新しくて、どこか懐かしい。

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