「あなたの沖縄」執筆者紹介
「あなたの沖縄」では、コラムをより身近に感じてもらうために、定期的に執筆者紹介を行っています。コラムでは、沖縄にまつわる個人的な体験が描かれていますが、その体験をした執筆者はどのようなことを考えてコラムを書こうと思ったのでしょうか。冲縄を生きる人々が沖縄について語ろうとするきっかけや想いをお伝えしていきます。
「あなたの沖縄」では、沖縄出身者のみならず、沖縄県外出身者もコラムを執筆しています。今回は、長崎県出身のSさんと、神奈川県出身のゴクツブシさんに話を聞きました。
(聞き手:西由良)
S(92年生まれ 長崎県出身)
自己紹介
1992年生まれ。長崎県出身。2015年から2019年まで那覇で暮らしていました。マスコミ業界にいて、西さんがおばあさんの戦争体験をもとに制作した映画の取材をさせてもらったことをきっかけに、このコラムプロジェクトにも声をかけてもらいました。現在は東京在住で、特に恋しくなるのは、いなむるち。
Qどんなことを思って「あなたの沖縄」企画に参加しましたか?
西さんに誘ってもらったとき、正直、最初は今は沖縄に住んでもいないし、沖縄出身でもない私が参加してもいいのだろうかと迷いました。でも、その反面、嬉しい気持ちもありました。誘ってもらえたことで、沖縄とまた繋がりができたと感じたんです。
私は大学を卒業したあとマスコミに就職し、最初の勤務先が沖縄でした。私が沖縄に来たタイミングはちょうど、翁長さんが知事になった直後で、”オール沖縄”という形で沖縄が一枚岩になって声をあげる時期でした。沖縄に住んで1年たったとき、二十歳の女の子が米軍属に殺される事件が起こって。そんなことがあるって……と、沖縄の人たちの怒りを一緒に感じ、沖縄に住むということがだんだんと身にしみてわかってきました。最後、沖縄を離れる年には、翁長さんが亡くなって、誰が後をつぐんだという政治の状況がある一方で、辺野古の埋め立てがはじまって。同世代の元山仁士郎さんがハンガーストライキをして、県民投票をすることになり、県民投票では「埋め立て反対」が7割を超えましたが、結局埋め立てがはじまりました。
そんなふうに過ごした沖縄を2019年の9月に去り、それまで身近に感じていた沖縄に対して、距離を感じて寂しく思っていたときだったので、誘ってもらえて本当に嬉しかったです。
Q執筆したコラムで、印象に残っているものはありますか?
最初の『私がナイチャーだったころ』は、「あなたの沖縄」でコラムを書くに当たって、沖縄出身ではない私が、このチームに入って書いていいんだろうかと葛藤しながら書きました。”ナイチャー”の私は、沖縄で過ごしていた時期に、沖縄のことをとても大切に思って好きでいる一方で一抹の寂しさを感じることもあったから、コラムで表現できてよかったです。どう思われるのか心配はあったんですが、意外と共感の声もありました。沖縄県外出身の方だけじゃなく、対談企画でお話しした沖縄出身のRさんからも「あぁ、こういう事考えている人が話せる場があるんだな。いいな」と言ってもらえたことが嬉しかったです。コラムを書いたことをきっかけに、対話ができたし、自分だけじゃなかったんだと安心しました。
QSさんは、対談企画にも参加してくれましたね。参加してどう感じましたか?
本当に楽しかったです。今まで会ったこともない人とオンラインで出会えました。私からしたら、彼女のことを”ウチナーンチュ”だと思っていたけど、沖縄の中でも、他の島にルーツがある方が思っていることを聞けて色々発見がありました。私の話も、聞いてもらえて嬉しかったです。
対談したRさんだけじゃなくて、他のメンバーとたまにオンラインで話したり、リアルで話したりできるのはこの企画の魅力だと思います。沖縄のことを話せる同年代は貴重ですね。上の世代の方と話すのとは違った、20代の目線で話せるというところがいいなと思います。知識がある人が偉いとかはなく、ただ思い出話ができたり、個人的な体験を聞いて、「そんな経験してたんだ、面白いね」と話したり。敷居が低くて安全な場所という感じがします。
Qコラムを執筆してみて、自分の中で何か変化はありましたか?
沖縄のことをコラムに書かなかったら、思い出として過ぎ去っていくだけだったと思いますが、言語化するために改めて、その時の気持ちとか情景を思い出して書くので、沖縄を身近に感じられます。東京にいても、沖縄のニュースを意識して見るようにしていますが、どうしても遠く感じてしまいます。コラムを書くときには、1時間ぐらいは沖縄のことを思いながら書くので、不思議な気持ちです。タイムスリップして沖縄に来たという感じです。筆をもつまでは大変なんですけど、書いたらスラスラとかける。書き終わった後は達成感があるし、嬉しくなりますね。沖縄と繋がっているという感覚になります。
先日、3年ぶりに沖縄に行ったのですが、沖縄で見る景色が懐かしく感じました。地元の長崎に帰った時とは、また違う気持ちです。「沖縄に住んでたんだよな」と不思議な感覚になりました。
Q「あなたの沖縄」の中で特に好きなコラムはありますか?
「No German cake, No Life」
さまよう蟹さんの大ファンです!! ご本人とも話したことがあるし、チャーミングなキャラを知っているからかもしれませんが、めちゃくちゃ面白いですよね。読んだあと、ジャーマンケーキに思いを馳せました。特に、そんなに好きというわけではなかったんですが、めちゃくちゃ食べたくなりました。でも、沖縄県外にはなくて、沖縄でしか食べられないんです。先日、沖縄に行ったときにも食べたかったけど、時間がなくて食べられず、それが心残りです。ジミーにとにかく行きたい! ジミーのジャーマンケーキが食べたいです。
「幻のラフテー」
個人的な家族の話で、半径数メートルで起きている話という感じがしてとても好きです。沖縄の空気感が伝わってきました!
「沖縄”有権者”バトルロイヤル」
辺野古埋め立ての県民投票の時のことを思い出しました。私は、絶対埋め立てはしたくないと言う思いはあるけれど、県外出身の自分が入れていいのだろうかと葛藤し、自分の1票の重さを感じた出来事です。
ゴクツブシ(92年生まれ 神奈川県出身)
自己紹介
ゴクツブシです! 現在の仕事は学芸員のはしくれ。過去には民間の発掘会社にいたこともあります。出身は神奈川県横浜市。大学卒業後、1年のフリーター生活を経て大学院進学のため沖縄にきました。就職のため一時期岐阜などにいたこともありましたが、計6年あまり沖縄に住んでおります。こちらにきてから都会っ子扱いされることが増えましたが、横浜、意外と田舎です(笑)。最近は沖縄の芸能界の面白さに目覚めてしまい、暇を見つけては県内の舞台やバンド、お笑いのライブ、ラジオイベントなどを観に行っています。両親は大阪府出身であるため、関西圏や関西弁にも一定のシンパシーを感じています。
Qゴクツブシさんは、もともと読者でしたね。
どうして、自分もコラムを書きたいと思ってくれたんですか?
もともと、あなたの沖縄のコラムを読んでいました。沖縄に関するTwitterのアカウントをフォローしていたら、どこからともなく「あなたの沖縄」のコラムが流れてきました。自分と同年代の人が、自分の見てきた沖縄のことを文章にして、世の中に出していくのを面白いなと思っていました。最初の投稿から見ていて、「これ、自分にもかけるかな?」と考えましたが、なんか、でしゃばっちゃいけないなというか。よく、県外の人が持ちがちな沖縄のイメージやステレオタイプが、自分にもあるかもしれないという心配もあったし、単純に書けるネタが思い浮かびませんでした。
そんな時に、県外出身のSさんの投稿(私がナイチャーだったころ)を見て、ゴールデンアワーの話に「わかるわー!」と頷き、書いてある内容にも共感しました。それがきっかけで、県外の人なら県外の人なりの切り口もあるかもしれない、自分にも書けるかもしれないと思い、「コラムを執筆したいです」と自分からメールしました。
Q執筆したコラムで、印象に残っているものはありますか?
3つ書いていて、それぞれに思い入れがあります。
でもやっぱり、最後の「沖縄”有権者”バトルロイヤル」が渾身かなという気がしますね。これは、選挙をめぐる職場での出来事があってから、何かあるたびに繰り返し思い出します。一度胸の中にしまっていたものを、きちんと文章化できてお蔵入りさせなくてよかったなと思います。
当時就職した建設業界だったのですが、同じ職場の団塊の世代の方が、沖縄戦を体験してはないけど、親世代から伝え聞いた話をよくされていました。保守系の支持層ではあるかもしれないけど、戦争には絶対に反対だという意志を強く感じました。僕ら県外の人は、つい、右だ左だと党派制で見てしまうことがあるんですけど、簡単にどっちだと言えるものではないと。でも、常に究極の選択を迫られるというか。そういうことは、県外にいる人はなかなかわからないことだと思います。県外出身の僕が、きちんと文章化しないといけないと思いました。あくまで(県外の)僕らが作り出してしまっている問題だよというので終わらしたかったというか、傍観していたらだめなんだよというメッセージをきちんと盛り込みたいと思って書いたコラムです。
Qコラムを執筆してみて、自分の中で何か変化はありましたか?
コラムを書いたら、Twitterでコメントしてくれる人も出てきてくれて、特に『「証言者」になれるのか』と『沖縄”有権者”バトルロイヤル』は、同じような問題意識を持っている人たちが僕の他にもいると分かりました。考えていることを外に出すことによって、日頃暮らしていく勇気が出たというか、これだけ仲間がいるんだと実感しました。
実は、僕の親にも紹介したんですね。そうしたら、僕の母親は「あなたの沖縄」の全てのコラムを読んでくれたようです。
『「証言者」になれるのか』がよかったと言っていました。僕は、小林よしのりにもはまっていた時期もあり、そういう時代も母は知っているので、沖縄にきてからの心情の変化や自分の知っている息子とは知らない息子の姿を知って、成長の過程が見えたのがよかったのかなと思います。もっと、身も蓋もないことを言うと、ネット右翼にならなくてよかったという思いがあるかもしれませんね(笑)。
余談ですが、母は『No German cake, No Life』を読んで、「ジャーマンケーキというものを食べたくなった」といっていました(笑)。僕は、まだ食べたことがないので、食べてみたいなと思っています。こういうことには、自分だけでは出会えなかったので、実際に生まれ育った人が見て、感じていることを、県外の人に知ってもらうきっかけになると思いました。
Q「あなたの沖縄」の中で特に好きなコラムはありますか?
「瀬長島の思い出」
何回も行ったことあったんですが、僕は、今の瀬長島しか知らないんですよね。観光地じゃない瀬長島があったのだと、あのコラムで初めて知りました。職場にも、小禄出身の方がいて、「(免許をとって)初めていくのは、瀬長島だよ。カップルが行くと、別れるらしいよ」というジンクスも聞きました。
瀬長島はもう鉄板の観光地になってきていますが、それ以前にも、地元の人にとっては思い出のある場所だったということを、ああやって文章にしておくことで、ただの観光地だけじゃないんだよと言うか。観光地として開発されていった場所でも、地元の人にとっての憩いの場でもあったんだという証明にもなるコラムだと思いました。
「日本へようこそ」
そんな経験があるんだなと驚きました。でも、思い返せば、大学の時に沖縄から来ていた同級生がいて。それまで、僕は沖縄の人と関わったことがなかったので、自分の中にも似たような感情や、好奇心の目線を向けていたこともあるかもしれないという気づきもありました。驚きつつも、他人事じゃないなと思って刺さったコラムでした。