「46番」の思い出
西由良(94年生まれ 那覇市首里出身)
最近、東京でバスに乗ることが多い。電車で行くと遠く感じるエリアでも、バスに乗ると意外と時間をかけずに行けるので、得した気分になる。バスって良いじゃんと、勝手に再評価していた。
しかし、沖縄ではバスが減っている。最近は、名護と那覇を結ぶ沖縄県内最長路線のバス「77番」のルートが短縮されるとSNSで見かけた。沖縄バスの77番は、東海岸を通って名護と那覇を結ぶ唯一の路線だったらしい。ニュースを見ると、このバスを通学に使っている高校生が「減便されるので今後は部活を早く切り上げないといけなくなる」と話していた。このバスを日常的に使う人は大変だろう。自家用車が主な交通手段の沖縄でも、バスはまだまだ重要な移動手段だ。
そういえば、私も学生の頃、首里から西原へバスに乗って習い事に通っていたっけ。
私が乗っていたのは「46番」。中学生の頃、糸満と西原をつなぐこのバスに乗って、月に1回、竪琴のレッスンに行っていた。
バスに乗る時は、毎回緊張した。沖縄のバスは平気で30分も遅れてきたりするが、気まぐれに時間通り来ることもある。一度、10分ぐらい遅れて行ったら、バスはもう発車した後で、大変な思いをした。当時は携帯も持っておらず、先生を長く待たせて冷や汗をかいた。それからは時刻表に書かれた時間にバス停にいるようにしていたが、早く着いた時に限ってバスは来なかった。
その日も、準備万端でバス停に着いていた。今日はどのくらい待たされるかなと、バス停のベンチに座ってゆったり待っていたら、案外10分ほどの遅れだった。竪琴の練習もいい感じに進んでいるし、譜面も覚えている。今日は良い演奏ができそうな気がしてきた。
46番は市外線なので、運賃が距離で変わる。乗車番号が書かれた紙を取ってバスに乗り込み、車内を見渡す。席も空いているじゃないか。いつもは、学生やお年寄りでいっぱいだが、今日はやっぱりツイてる! 2人がけの席にひとりで座り、独り占めだ、やったーと喜んでいたら、3駅もすると混みだした。私の隣にも男の人が座った。良いこと続きもここまでか。ちょっとがっかり。でも、彼が私を救うことになるなんて、このときは思いもしなかった。
ちょっと手を挙げて「ここ、座ろうね」と、男性が挨拶する。左半身に麻痺があるみたいで、ぎこちない動き方だった。慌てて荷物をどけ、目線を逸らすと「ありがとう」と申し訳なさそうな声がした。なぜだろう。その時、私は急にその人に話しかけたくなった。彼が、私になるべく近づかないように気をつかって座ったからかもしれない。きっと、「大丈夫、私は気にしていませんよ」と示したかったのだ。
彼の方へ目線を戻して、ちょっとうわずった声で「どこまで行くんですか」と聞いてみた。彼は最初びっくりした顔をしたが、すぐに笑顔で答えてくれた。彼が降りるのは、私の駅よりも少し後の方。どんなことを話したかはもう忘れてしまったが、話しかけられたのが嬉しかったみたいで、それから10分ぐらいずっと2人でおしゃべりしていた。
私の降りる駅が近づいてきた。モタモタしないように、そろそろ降りる準備を始めよう。「もうすぐなので」といって、会話を切り上げる。降車する時に、小銭を出すために時間がかかるとカッコ悪い。中学生の私は、両替などせず、さっとお金を入れて降りるのがスマートで大人っぽいと思っていたので、いつも2駅前ぐらいで小銭を用意してスピーディーにバスを降りることを意識していた。
普段と同じようにカバンを開けて財布を探す。なかなか、見つからない。あれ、どこに入れたっけ。しばらく探して気がついた。ヤバい。家に忘れたのだ。一気に、血の気が引いた。いろんなところから汗が吹き出してくる。あんなに早くバス停についたのに、肝心の財布を忘れたなんて、バカみたいだ。そんなことある? 全部準備万端でバス停に着いたのに。さっきまでの幸せな心地との落差にパニックになって、しまいには涙が出そうになった。それでもバスはどんどん進んでいく。どうしよう、もうすぐバスを降りなきゃいけない……。
切羽詰まって、私は隣の男性を見た。もう、彼に頼むしかない。今思えば、バスの運転手さんに言えばなんとかしてもらえたかもしれないが、その時はそれしか考えられなかった。お金を借りよう。泣きそうになりながら、事情を説明する。
「いくら?」
「360円です……」
消え入りそうな声で伝えると、財布から小銭を出してくれた。多分、私が絶望的な顔をしていたのだろう。「大丈夫だよ」と、優しく声をかけてくれた。その声を聞いて、それまで、障がいを持つ男性に話しかけ、「大丈夫、私は気にしてませんよ」という態度でカッコつけていた自分が途端に恥ずかしくなって、また泣きそうになった。すみません、と俯く私に男性はずっと「いいよ、気にしないで」と言っていた。
お金を借りてすぐ、バス停についた。小さい声で、本当にありがとうございますとお礼を言い、急いでバスを降りる。バスを見送ったあと、しまったと思った。名前や連絡先を聞くのを忘れた。次、バスに乗ったらまた会えるかもしれない。
その日から、私は46番に乗るとき多めに小銭を持ち歩くようになった。会ったら絶対返そう。そう思って、翌月も同じ時間にバスに乗ったが、その人はいなかった。その次の月も、その次の月も……。結局、あれから一度も彼はバスに乗ってこなかった。
2018年にバスの系統が変わり、今はもう、46番という名前のバスは無くなってしまった。 現在は346番になったらしい。街中で346番を見かけると、中学生の私を助けてくれたあの男性のことを思いだす。彼は今も、346番に乗っているのだろうか。私は、返しそびれた360円をずっと心の中で握っている。