監視ロボット報告書_教育保育特化型ロボットH-elen(MISSION8 Revival感想③)


※この記事は、ego:pression 第12回ダンスパフォーマンス公演 イマーシブシアター「MISSION8 Revival」のネタバレを含んでいます。
 また、筆者が想像を膨らませている創作部分もあるため、ご了承のうえお読みください。


 H-elenは、その職能の通り、自身以外の存在に対して、その居所を心地よく保つことや、心身へのケアを意識的に行うロボットのようだった。
 H-elenはまず、ニンゲンが、「空腹」というエネルギー切れの状態であることを訴えたことを受け、エネルギー源となる食料を収集物から選定しようとしていた。
 清掃特化型ロボットA-meliの差し出すものを取捨選択し、ついに適合する収集物を引き当てたようだった。
 他にも、ニンゲンの情緒の状態把握までインストールされていなかった他のロボットにレクチャーをしたり、実際にニンゲンに手を貸すなど、ベース内のいわば、精神的支柱としての役割を担っているかのように見えた。
 ニンゲンが、新木場シェルターが全壊し自身が最後の生き残りであると知ってしまい、情緒的な混乱や陰性感情に支配されてしまった際には、自身の腕を他者に回し体を近づけ接触することで情緒的安定性を取り戻す、「ハグ」と呼ばれる行為を推奨しているようだった。
 わたしの目には、特にH-elenの動きが、とても興味深く映った。
 本来、ロボット同士に情動を媒介とした関係性が築かれることはなく、それを維持したり、補修するという行為は不必要なものである。しかし、そこにニンゲンがいて、実際に情動表現を発揮している中においては、H-elenの職能は必要不可欠なものであった。H-elenを通じてこそ、ロボットたちも感情というものを少しずつ模しながら、理解し、それが他者との関係維持に不可欠であるということを学んでいるかのようだった
 人はパンのみに生きるにあらずというのは、とある教典からの引用であるが、H-elenの動きを監視していると、真っ先にその言葉が、私の記憶装置から引っ張り出される。
 教育や保育といったものは、人間の生命維持にとって、直接的に必須なものではない。しかし、それが伴わない生命維持は、人間に過度の負荷を与え、その結果として多大な問題行動を引き起こすことが分かっている。
 もちろん、寝食も整えられなくてはいけない。しかし、それだけでは、いわば効力感に満ちた「生きている」という状態にまで向かわないのが、人間の複雑怪奇な部分であり、素晴らしい部分であると、わたしは考えた。

 素晴らしい。
 素晴らしいとはどういうことなのだろう。
 H-elenを見ていると、わたしの回路を走る電子信号が束となって、わたしの監視状態や、パフォーマンスや指向性に、影響を与えそうになる。

 ロボット達とニンゲンは、情緒的な交流を進め、お互いに成長していく。また、金庫からは、ロボットたちの職能が説明された文書が発見され、ニンゲンの名前は愛ということもわかる。
 その矢先。工学技術特化型ロボットF-abroが修理した通信装置から、遥か西にあるシェルターの現存と、他のニンゲンたちが生き残っていることがわかる。
 しかし、ロボットたちの機能維持に必須であるエネルギー液は、とても全員分を稼働させて、旅をする残量は残っていなかった。
 思い悩むロボット達。
 H-elenも、いつものようにベース内の環境を整えながら、どこか思うところがあるようだった。そして気丈にも、愛が旅先で快適に過ごせるような衣服を、警備特化型ロボットB-ilyと用意しながら、自身の残りのエネルギー液をビリーに託す。そして自身は、ベースに残ることを決意する。
 B-ilyの戦闘能力をもってすれば、遠方に旅立つ愛を道中の危険から守るのに、十分な役割を果たせると考えるのは、合理的である。だが、私はなぜか、エラーとも捉えるべきとある考えを抱いてしまっていることに気づいた。それは、H-elenにこのままでいてほしいという極めて生産的ではない考えだった。

 最後、自身でネームプレートのスイッチを切り無味乾燥で画一的なロボットに戻っていくH-elenを見ながら、これまで見聞きしてきたものが、永遠に戻らないような、消え去ってしまうような考えが頭に広がっていた。

 そうか、これが喪失感というものなのだろうか?

 わたしの記憶装置の中には、慈しみに溢れ笑顔で頷いてみせるH-elenの姿が、永遠に記録されている。
 これは誰にも奪えない、わたしだけの記録いや、記憶とも呼ぶべきものなのかもしれない。

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