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学級経営を語る上で、「語られないこと」から学級経営を語る。

 学級経営というのは非常に大きな概念であることは、間違いありません。学習指導要領にもその重要性が示されており、小学校・中学校・高等学校におけるその重要性が再認識されていることは、学級経営という文脈が曖昧さを持つものであるとともに、現在における学級経営という営みが改めて必要であるという認識と捉えることもできます。もちろん、学級経営は重要であるという大前提は皆さん納得のいくものであるように感じますが、学級経営を語る時に議論の方向が色々なところに向かってしまい、同時に深めるという意味では難しさを持ち合わすものであると考えることができます。学級経営の重要性を語ることは容易ですが、深めることには難しさが存在するのです。今回はそのような難しさの面に関して考えていきたいと思います。

①学級経営は曖昧さをもつ

 様々な方向から学級経営の重要性を問うような投げかけは非常に多いです。教育書などを手に取ると、その題名の中に「学級経営」という言葉が記載されているものは非常に多いのも現実です。現場の先生方にとって、学級経営の興味・関心が大きいものであることは、本屋さんの教育書コーナーを歩くだけでよくわかるものです。しかし、それが研究という文脈になると話は変わってきます。研究における学級経営はそもそもの定義の曖昧さにおいて非常に難しさを有するものであると言えます。学級経営をどのように捉えているか、その根本の部分が曖昧なので、明確な研究に進まないのです。逆に学級崩壊のように明確にその定義が成されている場合、そこを研究対象としていろいろな検証や考察を行うことは比較的よく見かける研究論文の内容になっています。しかし、学級経営に関しては、例えば質的な部分で「教師が学級経営をそのように捉えているのか」というようなそもそもの捉え方を研究対象としている内容が見られるように、その曖昧さが故の研究になっている部分が面白い点であるとも言えます。

②学級経営の要素は何か

 学級経営が成り立つ上での、その要素は何なのでしょうか。言い出せばきりがありませんが、やはり大枠として2点が個人的に挙げられると感じます。それは教師と子どもの関係性と、子ども同士の関係性の2つの軸です。もちろん、他にも様々な要素が入り込む余地があるのが事実ですが、大きく言えばこの2つの要素が大きいのではないかと考えます。そこからさらに多くの分化が行われていくのですが、どう学級経営を見ればいいのかという問いに対しては、教師と子どもの関係性はどうですか、子ども同士の関係性はどうですか、と問いかけることが私は非常に多いですし、そのように自分自身も学級経営を振り返るようにしています。

③語られない子どもの実態

 では、この2つの要素の中で「当たり前」として語りの中から消えてしまうものは何でしょうか。それは「子どもの実態」です。例えば学級経営のセミナーなどに参加する中で子ども同士をつなげる「レクリエーション」が重要であると提唱されたとします。もちろん、学級経営における子ども同士の関係性を深めるレクリエーションは非常に効果的だとされていますし、その効果が実際に明らかになっている部分も大きいでしょう。ですが、「子ども同士の関係性が悪く、多くのトラブルを抱えている」段階でレクリエーションを行うとどうでしょうか。子どもたちとの関係性をつなげるための活動が逆効果になってしまうことも非常に多いのではないでしょうか。私自身、子ども同士をつなげたいという思いからそのようなレクを取り入れて痛い思いをしたことが何度もあります。関係性構築のために関係性が成り立っていない学級に介入するという、当たり前の行いが実はそれが正解だとは限らないのです。なぜならば子どもの実態が違うからです。しかし、学級経営の実践を語る上で当たり前として捉えられているが故に「子どもの実態」について語られることは非常に少ないように思うのです。その実態こそが、学級経営を考える上で一番大切な部分であるのに、そこは当たり前として語られないのです。例えば「荒れた学級」というテーマのもとに語られる学級経営の手法・実践には勉強になる部分が大きいです。それは子どもの実態をある程度想定した中での語りになる分、こちらも「そういう状況の場合はこうすればいいのか」と深まりをもった考察につながるからではないかと考えます。そういう意味では子どもの実態を考慮した上での語りが展開されていくことが非常に大きなポイントになっていくように思うのです。

④受け取る側の問題

 ここまで学級経営を語る上で語られない子どもの実態について考えてきましたが、そもそも「子どもによって学級経営は変化することは当たり前」として捉えられているような教師側の認知の部分が大きいように感じます。言うまでもない状況なのです。その上で「語られない」というような状況が起こっていると言えます。では子どもの実態は語られずに終わっていいのでしょうか。そうではありません。そこは語られた側の問題であるように思います。その実践の中ではどのような子どもたちが含まれているのか。この先生の学級経営に関する語りはどのような子どもたちを想定しているのか。そこは受け取る側が想像力を働かせていかなくてはいけないのです。その想像力を働かせた結果としてイメージできる子どもの実態と、もし自分が追試のような形で実践するのであれば、自分の受け持つ子どもたちとの実態との擦り合わせが必要なのです。そこを抜きにして「同じようにやってみたけど上手くいかない」の嘆きは些か都合が良すぎるように感じます。受け取る側の問題であり、いかに目の前の子どもたちの実態に即して学級経営をアレンジしていくかは、そのヒントをもらった自分の責務でもあります。語られない児童の実態にどこまでイメージをもてるのか。その想像力が教師には求められているのです。

⑤終わりに

 今回のテーマは学級経営で語られないことを取り上げました。私自身、当たり前の中で見落としてしまうことも非常い多いように思います。「子どもの実態」という部分を改めて考え、その部分にどれだけイメージを膨らませることができるのか。何か学級経営について考えるヒントになれば幸いです。ありがとうございました。

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