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ネイル


マニキュアを塗るのも好きではなかったのだけど、昨年からとうとうネイルを始めてしまった。ネイルを始める、という表現が正しいかはわからないが、別に粘って面白くなるところでもないので先に進みます。


ネイルってやり始めると止まらない。正確に言うと、止められない。止めるタイミングがない。爪はどんどん伸びるし、きれいな状態を保つには割と頻繁にネイルサロンに行くことになる。自分でオフすることもできるが、なんかもっと心理的なもののような気がする。一度始めてしまうと「ネイルしてない=裸で街を歩く、みたいな気持ちになる」と誰かが言っていたが、今ならそれもちょっとわかる。




子育てに追われ、自分の時間なんてゼロだった時代。髪を振り乱して、身なりも機能優先で、あの頃が一番(もう女として終わったな…)と感じていた。実際そうだったと思う。ところがそれから十数年経って、当時は想像もできなかった、その「向こう側」の時代が訪れた。


子どもや家事に時間を取られることも減り、仕事がメインの生活になった。友達と遊んだり、男の人と遊んだりするようになった。こうやって書くとまるでワープしてこの場所に来たような気がしてしまうが、実際は五体投地くらい重たくて気が遠くなるような道のりだった。


ともかくそうやって今に至る。


外に出る機会が増えた私は、一度は捨てた「女」を再び取り戻したいと願うようになる。何をもって女と言うのか、定義は様々だと思うが、ここも特に論点でもないし面白くもならないと思うので割愛します。要するに一般的な女性のイメージを指している、くらいに思ってください。


何から何まで終わっていたので笑、何から何まで磨き直しました。その果ての「ネイル」だったと思う。なんとなく、自分はネイルをするような人間にはならないと思っていた。だけどとうとうネイル人間になってしまった。


女を捨てていた時代は、ごくごくたまに外で誰かに会う機会があったりすると、もう着ていくものすらないことに愕然としていた。おしゃれして外に出る、という習慣がなくなっていたからだ。服をどうしようから始まり、洗いざらしでひどいものだった髪も肌もそれから手も、急拵えでなんとかしようとしていたが、「こういうの慣れてません」感がかえってダサさを際立たせていて、


恥ずかしかったな。


ところがそれから時が経ち、


私はネイル人間となった。



髪も肌も日頃から一定の水準をキープするようにしている。そのためにお金をかけるようにしている。おでかけ用の服もバッグも靴もずいぶんと増えた。メイク道具も香水も揃っている。おまけにネイル人間だ。急に今日、誰かと会うことになったとしても、パパッと着替えるだけで、ものすごく時間をかけて準備したみたいに見える。その最たる箇所が、ネイルなのではないかと思うのだ。


要するに、私は完成してしまったのだ。ネイル人間は私の中の「おしゃれな人」の最終形態だったのだ。ネイル人間になったことで、私は自分にできる範囲のおしゃれを完成させてしまったのだった。



こうしてネイル人間としての人生を謳歌していたかのように見えた私なのだったが。


それは本当に突然訪れた。


その日も、私は友人と飲むために、夜の街へ繰り出していた。そんなに飲んだつもりもなかったのだが、帰り道は記憶も飛び飛びなほど酔っていた。フラフラと乗り込んだ地下鉄の中、グラつく視線で、いつものように自分の手先を眺めた。そこにはつやつやと輝き、そのうちのいくつかには石や模様などのデザインが施された爪を持つ、ネイル人間の指があった。


ス…っと心が冷める音がした。



(私、何やってるんだろう?)



こんなの、私の手じゃない。



思わず目を逸らすと、
そこには、
地下鉄の昏い窓に映る、
ネイル人間の姿があった。



着飾って、遊び回って、男の人にチヤホヤされて、確かにそれで息を吹き返したような気持ちになった。自分にはまだ価値がある、女性として見てもらえる、そういう自尊心取り戻すことができて、いい気分だった。恋をして、その人に抱かれて、まるで自分が特別な宝石にでもなったような気持ちでいた。


でもそれは、私がネイル人間になったからなのかも知れない。ネイル人間になる前の私は、確かに超ダサくて見るに堪えない状態ではあったが、少なくとも「自分」で居られたように思う。そこまで歩んできた「自分」の延長線上にあった自分の姿だったように思う。ネイル人間となった今、ふと振り返ったときに見えた私のその姿は、あまりにも以前の私とはかけ離れていた。




ネイル人間。それは夢のようなものなのかも知れない。そんな私を好きになってくれた、女に戻してくれた恋人もまた、夢のようなものだったのかも知れない。そもそも恋って、そういうものなのかも知れない。どうにか自分を良く見せようと着飾って、ネイル人間に成り下がって、そうして出会ったふたりが酔って見る、一夜の夢のようなものだったのかも知れない。


だからって超ダサい私に戻ろうとは思わないが、ネイル人間になってみて、さすがに何かを見失っているような気がした。ネイル人間としてフラフラ遊び回っているのにも、いつか飽きる日が来る。その夢から覚める日が来る。そのとき、ネイルをオフした自分の手がどんなにくすんで見えたって。ネイル人間になる前より、その手を愛せるような気がする。飾り立てた手を握り返してくれる誰かより、毎日を紡いでいく自分の手を労わり、その手を愛する自分を大事にできるようになりたい。


そんなことを思った。


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