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どめ17「あのケバブ屋さん」

高田馬場のケバブ屋さんは,全部集めて合体しても,早稲田大学3号館の201教室と同じかそれ以下の規模しかない。

っていうかあのケバブ屋さんでEat-inする奴なんていないんだから,もっと小さくてもいいかもしれない。


ケバブ,ケバブ,ケバブ,ケバブ,ケバブ,ケバブ,ケバブ,ケバブ。


生まれ変わってもケバブにはなりたくない。
ケバブにだけはなりたくない。
ケバブになったら恥ずかしいし,なんか寒そうだから。


ケバブを買うやつには色々いるだろうなと思う。
ケバブを買うということだけが共通点か。
ケバブを買おう,ケバブを。


ケバブがのどに詰まっても簡単には死なないだろうな。
あのケバブ屋さんのケバブはプラスチックみたいな質感でそれがまた何とも言えない妙な味を醸し出している。

あのケバブ屋さんがあそこでケバブを売ろうと思った時は,まさか貧乏な大学生が飲み会前の腹ごしらえでいっぱい来るとは思ってもみなかっただろうな。いや大学生が来るとは思ってただろうけど。

ていうか早稲田大学ができる前からあのケバブ屋さんってあったんじゃない??全然あり得る。そうだったらオモシロいのに。

明治時代の朝日新聞とかで,ケバブ来航!みたいな一面があったらスゲーおもろいのにな。まずケバブっておもろいし。


あのケバブ屋さんでかかっている音楽はどこの国のヒットチャートなんだろう。

あのケバブ屋さんはレジの機械は使っていないようで,ペットボトルを切り刻んだ入れ物に札とか小銭とかを分けて入れてた。いいね,と思った。

あのケバブ屋さんは何語でしゃべってるんだろう。

あのケバブ屋さんはどこから来たんだろう。普通にあそこが実家の可能性があるのか。ないか。



昨日はケバブ屋でケバブサンドを食った。
寒かった。
ケバブ屋さんは寒くなさそうだった。
なんでかは分からなかった。
ケバブ屋さんはいつも絶妙に覚えられない顔をしていて,いつも同じ人な気もするし,いつも違う人な気もする。
ケバブは高田馬場のソウルフードではない。
ソウルフードランキングを作ったら,多分17位くらいだろうと思う。まぁまぁ高いか。っていうかもっと高いかも。
わけわからん位安いしな。


昨日はケバブを食いながら人の自己分析をきいた。
よく考えられていたと思う。いちいち偉そうだ。おれ。
彼はすばらしい人間なので,きっと世界がどうなっても生きていけるし,きっと人を救い続ける人間になるだろうなぁ,とケバブを食べながら思った。

ケバブ屋はどこで従業員を雇っているんだろう。
ちゃんと税金を払っているのだろうか。
払ってなさそう。知らんけど。
名誉棄損の可能性あり。


人材関係やコンサルティング関係等の人的資本にアプローチする会社群のことをHRと呼ぶらしい。勉強になった。
就活はなんか大変そうだった。
でもその人は元気そうだった。
そういう人こそケバブ屋さんになればいいのにと思った。
ケバブつまみ食いできるから死にはしないだろうし。


抽象化能力や脱構築能力や論理的思考は過大評価され過ぎている。
それは物事を単純化し分かりやすくし綺麗に整える能力であっても,所詮は人の認知機能が持つ一つの力に過ぎない。
俺は馬鹿の一つ覚えみたいに相対化を繰り返したせいで,自分がどこにいるのかわからなくなってしまった。
目の前で起こっているもの,聴こえてくる音,感じる味,それらが心を動かすのなら,俺の認知能力はそれの邪魔しかしていない。
もっと知れることがあるはずだ。もっと感じ取ることができるはずなんだ。言葉ではなく心で。頭ではなく体で。



日本で酷い災害が起こって,どうやっても再起不能になったら,知らない国でケバブ屋さんになろう。


あのケバブ屋さん でした。


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