暗闇の中の幼少期

記憶が乏しいのだが、オレは嘘つきというレッテルを大人達から貼られていた。おそらく友人同士の間ではそれはなかったと思う。教師に何度もこっぴどく叱られたものだ。
縄跳びで集めたごほうびシールを見て、こんなヤツじゃないのに、的な事を言われた事もある。たしか小学1年から4年生頃まではそんなタイプの問題児だった。
義両親は厳しかった。
なわとびの縄を買って欲しいと言った時には、義父に漁業で使う縄を持たされそうになった。
ボクサーパンチも何度も受けた。
ある日には家から3キロ近くあるまだ造成中の広大なとちの一角で車を下ろされた事もあった。
幸いにも友達と何回か遊びに行った場所なので、泣きながらではあるが無事に帰って来る事ができた。
オレをまるでネコを捨てる程度の気持ちで置いて来たのであろう。
帰って行った際の義父の言葉は、
「ふっ、よく帰ってきたなー」
と新聞を読みながらのたまったのを知ってる。
身体的虐待に関しては、殴るはしょっちゅう、陰部の袋の部分に線香で3つのやけど。
そんなんがあった。

2番目の義母の出身地、函館に確か5年生の頃行った。
その頃の義母はオレを事あるごとにバカ扱い。
函館のおそらく実家に暮らしてた同級くらいの男の子と仲良くなり、よく釣りに出かけた。
こっちは地元なりの仕掛けを作り大漁だ。その子はたいした事なかった日。突然その子に聞かれた。
「○○君ってバカなんだって?」 
当然答えようもなく、ああ、義母の仕業だなって孤独感のようなものを味わった。

小学校のオレの成績は5段階で4〜5。
それなりに優秀なほうだった。
友達付き合いもうまくやってた。
自分を取り巻く環境以外はごく活発で勉強もそこそこ出来る子だった。
大人たちから嫌われる要素があったんだろう。

オレが貰われっ子と聞かされたのは2年生の頃。
2番目の母親から聞かされた。
それなりにショックだったと思う。
ある程度豊かな家に育った。
しかし拙い記憶を辿ると、オレが幼稚園生か小学校低学年の頃、差し押さえになっている。
訳は分からない。
今思えば自営業だった義父の脱税とか、商売で多額の負債を負ったとかそんなとこかなあと。
「家なくなるんだからね!」
ってどっちかの母親に言われた記憶がある。
どうにかして切り抜けたようだった。

義父の葬儀で兄弟一同が揃いも揃って一人100万の金を受け取りに来たの、それかなと思う。

さて、次は中学生になったオレを書いて行こうと思う。

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