サイモン&ガーファンクル「ボクサー」の和訳
アンニョン。
今回も歌詞の和訳。
今回選んだのはサイモン&ガーファンクルの「ボクサー」。
1970年に彼らが発表した最後のアルバム「明日に架ける橋」の収録曲。
アルバムに先行してシングル盤も発売されており、本国アメリカ以外でも大きなヒットとなった。
私がこの曲を初めて聴いたのは、中学生の頃だったと思う。
ポール・サイモンの書く文学的で孤独に寄り添う詩が、多感な時分の私に深く突き刺さったのをよく覚えている。
彼らの曲には他にも「サウンド・オブ・サイレンス」や「アイ・アム・ア・ロック」など、孤独や他者との隔たりのようなものをテーマにした楽曲があり、思春期の私にとってそれらの曲を聴くことは、初めての共鳴体験だった。
それから10年以上の時が経つものの、未だに彼らの音楽を聴くと当時の苦い思い出や鬱屈とした感情を思い出したり、そのときの状況によっては昔のように強く共感できたりする。
そういった意味では、サイモン&ガーファンクルはそのときどきの自分の心の現在地を教えてくれる、自分にとって大きな存在だと言える。
そんな彼らの代表曲とも言える曲「ボクサー」。今回私がこの曲を選んだのには理由がある。
それは歌詞の主人公の状況が今の自分のものと共通する部分がある、と感じたためだ。
主人公は家出なのか、夢を追いかけてなのか、単身で宛てもないニューヨークへやってくる。そこでの生活は思ったよりも苦しく、帰ることを考えるが、傷つきながらも戦うボクサーを見て、そこに残ることを決心する(ほんとはそこまではっきりとは書かれていないです。飽くまで私の解釈)。
私も現在、主人公のように故郷(日本)を離れ、オーストラリアにワーキングホリデーに来ている。ここでの暮らしは歌詞ほど苦しいものではないが、孤独を感じたり、悩んだりすることは日本より多い。それでも歌詞の中のボクサーのように、目標や夢の戦っている人の姿をみることで励まされ、ここに残る勇気を貰っている。
最近たまたまこの曲を聴いたときにふと、そんなことを考え、歌詞を自分の言葉で翻訳してみたくなった。
他にも、今までと違う環境や新しい場所で戦い続けている人がいたら、この曲に触れてみて欲しい。
*
I am just a poor boy
Though my story's seldom told
I have squandered my resistance
For a pocketful of mumbles
Such are promises
All lies and jest
Still a man hears what he wants to hear
And disregards the rest
僕はただの貧しい少年
自分の話なんて 滅多にしないけれど
ポケットもいっぱいになるような
うやむやな話に これまで
たくさん疑問を抱いてきたんだ
約束事とかね
人は どんな嘘や冗談でも
自分に都合の良いものだけを聞いて
残りはきっぱり 無視してしまうのさ
When I left my home and my family
I was no more than a boy
In the company of strangers
In the quiet of the railway station
Running scared
Laying low, seeking out the poorer quarters
Where the ragged people go
Looking for the places only they would know
家を出て 家族と別れたとき
僕は少年というほか 何者でもなかった
知らない人々のなかで
静かになった駅のなかで
怯えながら 身を隠していた
より貧しい人々が集う場所を 探したりもした
彼らしか知らない場所が あるんじゃないかって
Lie-la-lie
Lie-la-lie-lie-lie-lie-lie
ライ・ラ・ライ
ライ・ラ・ライ・ラ・ライ・ラ・ライ……①
Asking only workman's wages, I come looking for a job
But I get no offers
Just a come-on from the whores on 7th Avenue
I do declare, there were times when I was so lonesome
I took some comfort there, la-la-la-la-la-la-la
お金のために 仕事を探しても
誰も雇ってはくれなかったよ
僕を呼ぶのは 7番街の娼婦たちだけだった
実は 寂しくて仕方がなかったときなんかは
それが 慰めにもなったりしたんだよ…②
ライ・ラ・ライ
ライ・ラ・ライ・ラ・ライ…
Then I'm laying out my winter clothes
And wishing I was gone, going home
Where the New York City winters aren't bleeding me
Leading me, going home
冬の洋服に着替えるとき 思うんだ
ここではなく 故郷に帰ることができたらって
ニューヨークの冬のほど 苦しくないあの町へ
僕を導く 故郷へと
In the clearing stands a boxer
And a fighter by his trade
And he carries the reminders
Of every glove that laid him down
Or cut him till he cried out
In his anger and his shame
"I am leaving, I am leaving"
But the fighter still remains
空き地に立つボクサー 戦士、それが彼の仕事
倒れたり 傷ついたりした記憶を
鮮明に残す グローヴを着ける
怒りや恥で 叫び声を上げるまで
もうムリだ もうやめるんだ…③
そう言いながらも 戦士は立ち続ける
ライ・ラ・ライ
ライ・ラ・ライ・ラ・ライ…
*
①…随所に登場するハミング・パート。印象的で何か意味がありそうに感じるが、実は歌詞を入れるつもりで作られたメロディーだったらしく、最後まで歌詞が入ることはなく、埋め合わせの意味でハミングで歌ったところ、そのヴァージョンのまま発表に至った、ということらしい。
②…個人的に解釈が別れるのでは、と思うポイント。原文(I took some comfort there)を直訳すると「そこで心地よさを取ることもあった」となるが、この心地よさ(Comfort)を「娼婦に声をかけてもらえることすら寂しいときには心地よかった」とするのか、それとも「寂しいときは彼女らと心地よい時間を過ごすこともあった」とするのか。悩んだが、主人公のこの状況では娼婦と遊ぶお金はないと考え、前者をとった。
③…「Leaving(離れる・去る)」と少し苦しそうに歌っているため、いつもこのパートを聴くと、ボクサーがダウンして「意識が飛んじまう(飛ぶ=Leaving)」と呟いている情景が浮かんでしまう。この記事を書く際、何度原文を読んでもそのイメージはなくならなかったため、結局その雰囲気を反映した訳にしてしみた(通常「もうやめる」「もう帰る」となるところを「もうムリだ」とした)。
*
いかがでしたか。
久々にnoteを書いたらとても楽しかったので、また近いうち何か書きたいなあ。
*
世にも奇妙なボブ・ディランのカバー。
多重録音を駆使し、ハスキー声と滑らか声で一人デュエットを展開している。原曲とはかけ離れた軽いノリのカントリーにしてしまっているのも面白い。
Wikiによると、このカバーに関するディランからのコメントは現在まで一切ないらしい。
アディオス。