さくら、散る
今年から小さな桜を育てている。
盆栽用の桜でとても小さいが、確かに木だ。
昔、歌野晶午の「葉桜の季節に君を想うということ」という小説を読んだ。
この小説で桜は春だけのものではないと気付かされた。それまでは正直、花が散ってしまえば、桜のその後など気にすることもなかった。それどころか、花が散ればそのまま桜の木は裸になっていると思っていた。
”思っていた”という表現が正しいかすら分からないほど、桜のその後に気にも留めていなかったのだ。
桜の花が開けば写真を撮りに、桜を見物し、時間が止まることを感じる。など、情緒的な感情に浸っている恥ずかしいヤツだった。ハロウィンに渋谷で騒ぐ冷やかしと同じだ。
花のない桜の木など見分けすらつかないのだから。
それ以来、桜も紅葉する。夏にも、秋にも桜の存在を薄々感じるようにしている。かといって、パッと見て桜の葉を見分けられるほど、植物博士にもなれないので、そっと感じるだけ。
そんな桜が今年から我が家にいるのだ。
植物を育てることが苦手なのに、枯らさないよう気をつけながら、約8ヶ月を過ごした。何度か枯らしてしまったかもとヒヤヒヤすることもあった。それでも、新しいつぼみを付け、葉を青々しく立派に生きていた。
そんな桜がついに紅葉した。
数日様子を見ることができずにいた間にすっかり姿を変えていた。
その姿に今度こそ枯らしたか!と焦ったが、どうやら無事紅葉したようだった。
ようやく「桜も紅葉するんだよ!」なんて人にうんちくを語っていた滑稽な自分ともオサラバだ。こうして改めて書くと実に滑稽だな。
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