なぜ「北海道」は「北海」と略さないのか?
ふと、思ったのですが、47都道府県のうち、東京都は「東京」、京都府は「京都」、兵庫県は「兵庫」と略すことが出来るのに、なぜ、「北海道」だけ「北海」と略さないのか? このままでは夜も眠れないので、調べてみました。
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NHKのサイトが一番わかりやすかったので、ここから引用します。
■北海道庁の言い分。
「北海道は地名であると同時に、行政区分の呼び名でもあるので、『北海』と『北海道』という使い分けはありません」
つまり、北海道は地名なので1つの単語であり、切り離せないと明記されていたのです。
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■言語学者の言い分。
北海道大学の教授で言語学者の加藤重広さんの見解。
記者「なぜ『北海道』は『北海』とは略さないのでしょうか?」。
加藤教授「文法的には『北海』と言ってもいいんです。でもみんな『道』と言いますね。長い言葉を略して短くすることを言語学的には、『切り株語』と言うんですけれど、北海道の場合は『道』だけが残ったということです」。
記者「『道』だけが残るのには何か理由はあるのでしょうか」。
加藤教授「県の場合は『県』だけだとどの県を指しているのか分かりませんよね。でも、北海道は1つしかないので『道』と言えば間違えようがないんです。そうすると、『道』が最も単純で間違いがなく、『北海』という言葉をあえて使う必要がないということだと思います」
なるほど。北海道民の人たちは、自分った位が住んでいるところを「道(どう)」と省略して呼んでいるのですね。
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まあ、わかったような、わららんような結果に終わりましたが。これで、夜、ぐっすり眠れます。
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ちなみに、北海道には名付け親がいます。
松浦武四郎と言う人物が名付け親です。
松浦武四郎は江戸時代の末に生まれた探検家です。
今では探検家と言えば世界の秘境を渡り歩く人ですが、当時は北海道(蝦夷地)がまさに世界の奥地でした。
松浦武四郎は江戸時代の終わりから明治時代まで合計6回にもわたる蝦夷地への調査をしました。
そして伊能忠敬の地図のような詳しい蝦夷地の地図を書き上げたのです。
明治2年になり、明治政府が蝦夷地を開拓するにあたり、松浦武四郎に蝦夷地の新しい名前を依頼しました。
その候補にあがったのが6つありました。
「北加伊道」
「日高見道」
「海北道」
「海島道」
「東北道」
「千島道」
1番目が、「ほっかいどう」ですね。
当時は海という言葉ではなく加伊という言葉でした。
この加伊という言葉には、はアイヌ語です。
「この大地に根付くもの、生まれたもの」という意味があります。
松浦武四郎はこれを痛く気に入りました。
そこで新しい日本の地域(道)として、北加伊道を松浦武四郎は猛烈にプッシュしたんです。
名前は「海」になりましたが、この松浦武四郎の提案が通り、現在の北海道になりました、とさ。