【神戸】🇨🇳うちの高校だけかもしれぬが『中国文化研究会』があって中国名の連中は全員入部。が、🇰🇷在日韓国人の連中は日本名で、こっそり身分を隠していた。う〜〜む。。。
神戸には「神戸中華同文学校」という中国人のためのインターナショナルスクールがあり、中学まで中華同文に通って、高校からは、市立高校、県立高校、一般私立高校に転校するという人たちが多かったのです(いまはどうか知りませんが)。
わたしの高校の同級生にもいました。(中華同文の有名人といえば、宝塚の鳳蘭、野村周平さんがいます)
高校に入ると、陳、雷(らい)、游(ゆう)、林(りん)などなど、自称「華僑」で、自称・名士の子息たちが中国文化研究会に強制入部させられていました。
まあ、中国籍といっても、みんな神戸生まれの神戸育ちなので、他の生徒と同じに、普通に日本語でしゃべっておりました。
ただ、中華同文学校の学問レベルが高かったのか、みんな成績よかったですね。それに、親や親戚が中国語をしゃべるので、中国語も普通に話せるというバイリンガルでした。
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ある日、休み時間に、雷くんが「原付きバイク」の問題集とにらめっこしているので、
「なんや、ライ。校則では、原付き免許は禁止やぞ」
「あ〜、いやな、家の商売手伝わなアカンので、学校には特別に許可は出しとおんのや。まあ、もう勝手に店のスクーター乗り回してるから実技はOKなんやけど。このペーパーテストが引っ掛け問題が多おうて難儀しとおんや」
「店?おまえとこ、なんの店しとおんや?」
「いわへんかったか。南京町で中華料理屋やっとおんや」
「ほおー。えらい親孝行な息子はんでんなぁ」
「おまえ、ラーメン屋を馬鹿にしたな」
「してまへんがな。ラーメンだいすっきゃでぇー」
まあ、華僑といっても、そのほとんどが、親が元町で中華料理屋か、貿易関係の会社を経営している連中なのでありました。
・・・
中国文化研究会の中の「可憐な花一輪」が、游(ゆう)さんというトランジスタグラマーの女の子であった。
ちょっと、ぽっちゃりした可愛い子で、私など、はじめから、
「あーーー、私には高嶺の花だ。諦めよう」
と思うような、かわいこちゃん。
しかも、水泳部であった。
夏の放課後、プールに行くと、游さんが競泳用のピチッとした水着を着て練習をしている。しかも、当然、水に濡れている。セクシークイーンである。
そんな游さんを、医者の息子のKくんが好きになった。
Kくんは金持ちなのに、偉そうなところがまったくなく、家に遊びに行くと、ケーキは出るわ、メロンは出るは、ポテトチップスは出るは。
帰ろうとすると、お母様が、
「あら、いま、晩ごはんつくってるから、食べて帰りなさい。ね」
そんな接待をしょっちゅう受けているので、私が部長をしていた映画研究会は、Kくんを忖度するようになる。
「さあ、行くぞ!」
Kくんの掛け声で、私達は、8ミリカメラ、望遠レンズを付けた一眼レフカメラを抱えて、プールの見える屋上へと向かう。
「できれば、胸と股間のアップを頼む!」
「了解!」
私たちは、水面で弾けている游さんにレンズを向ける。
「投稿写真」という雑誌が発刊された頃である。
・・・
そんな中国・華僑にくらべて、在日韓国人たちは、本名を隠して、日本名で生活していたので、卒業してから、
「えっ!あいつ、在日だったの。へぇ〜〜〜」
と驚くことも多かった。
胸を張って本名で堂々と生きていく中国人と、名前を偽り生きていく韓国人。
卒業してから、いろいろと考えてしまう。
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