【カバー曲】💿️女性アイドルのヒット曲。オリジナルとカバーを比較してみた。1980年代の歌謡曲。
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■「ハロー・グッドバイ」
作詞:喜多条 忠・作曲:小泉 まさみ
◎<アグネス・チャン>(オリジナル:1975年:編曲・萩田光雄)
https://www.youtube.com/watch?v=_BE5faeCDB4
アグネス・チャン・・・思想的に大大大キライです。性格も大大大嫌いです。こいつのせいで、冤罪を産む「児童ポルノ法」が推進されたと思うとボコンボコに殴ってやりたくなります。
しかし、楽曲と歌手は別物です。
楽曲は素晴らしい。
喜多条忠の歌詞は、「紅茶」が私(女性)で、ミルクが彼氏という、ちょっっとエッチな比喩がワクワクするし。
小泉まさみは、筒美京平の弟子からスタートし、作曲家としてデビュー。
師匠ゆずりのキャッチーなメロディーを綴っていますね。
アグネスバージョンは、萩田光雄さんがアレンジ。さすが、のひとこと。
かなり、「青いセックス」の香りのする楽曲です。初潮の血の匂いがするというか。
⇑⇑ 「青い性の香り」「初潮の血の匂い」というと、この「白いくつ下は似合わない」も名曲。作詞作曲はユーミン。編曲は、あかのたちお。
何回聴いても、甘酸っぱい想いで胸がいっぱいになるのは、さすがユーミン(荒井由実時代です)。
◎<柏原よしえ>(カバーバージョン:1981年:編曲・竜崎孝路)
天皇陛下が大ファンだった柏原よしえちゃんバージョンは、タイトルが「ハロー・グッバイ」と短くなっている。
アグネス版よりも、爽やかな雰囲気なアレンジ。
高校生どうしの「友達以上、恋人未満」のふたりが喫茶店で待ち合わせしている感じでしょうか。
編曲の「竜崎孝路」は、昭和歌謡・アイドル歌謡のアレンジャーとして、大活躍。私の一番好きアレンジ曲は、キャンディーズの「危ない土曜日」の編曲。「ああ、週末に貞操が奪われちゃう〜!」という危機感あふれるスリリングな編曲は素晴らしいのひとこと。安井かずみの歌詞はちょっとエッチ。
⇑⇑ キャンディーズ「危ない土曜日」作詞:安井かずみ、作曲:森田公一、編曲:竜崎孝路。いやあ、パーカッションのアレンジがグッと来ますね。
♬ クルクル 危ない 土曜日〜 ♬
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■「まちぶせ」
作詞:荒井由実・作曲:荒井由実
◎<三木聖子>(オリジナル:1976年:編曲・松任谷正隆)
三木聖子ってあんまり知らないんですよね。
大人になってから、沢田研二主演の3億円事件ドラマ「悪魔のようなあいつ」で、沢田研二の妹役(?)で出ていたのを観たぐらいですねぇ。でも名曲であることは確か。さすがユーミン&松任谷正隆。
【参加ミュージシャン】
なかなか豪華なミュージシャンが揃っていますね。
◎<石川ひとみ>(カバーバージョン:1981年:編曲・松任谷正隆)
石川ひとみさんって、歌唱力があるのに大ヒットがなかったんですよ。
で、やっと出たヒット曲が三木聖子のカバーだった、と。
三木聖子より、はるかに歌がうまいですね。感情の入れ方が上手というか。
「くるみ割り人形」は名曲です。
なんだか、バレリーナになるために、悲壮な青春を送っている女の子の毎日の辛さが、痛いほど伝わってきます。
⇑⇑ 作詞:三浦徳子、作曲:馬飼野康二、編曲:大村雅朗。1978年9月5日
●編曲担当はこの年から活動を始めた大村雅朗、さすが天才と言われるだけありますね。
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■「硝子坂」
作詞:島武実・作曲:宇崎竜童
◎<木之内みどり>(オリジナル:1977年:編曲・ラスト・ショー&瀬尾一三)
完全に「ポップス調」「ニューミュージック風」「シティポップ風」のアレンジですね。
のちの高田みづえバージョンが、モロに昭和歌謡曲風のアレンジなので、まったく違う曲のような印象を受けます。オシャレなのにせつない名曲。
作詞の島武実は、宇崎竜童の事務所に所属していた作詞家だが、のちに、
立花ハジメから「おまえ、インベーダーゲームが上手いから、俺のバンドのリズムボックスのスイッチャーをやってくれ」と、テクノバンド「プラスチックス」に加入する。数年前に逝去された。合掌。
まあ、木之内みどりの人気は当時すさまじく、後藤次利と不倫したとき、私は「次利殺す!」と恨んだが、その後、後藤次利と離婚し、竹中直人と再婚したときには怒りはわかなかった。何故だろう?何故かしら?ホワ〜イ?
◎<高田みづえ>(カバーバージョン:1977年:編曲・馬飼野康二)
木之内みどりのオリジナル版が発売されて、1ヶ月後に発売された新人「高田みづえ」のデビュー曲。
馬飼野康二の日本人好みの編曲がよかったのか、大ヒット。
発売から1か月半でオリコントップ10入りを果たし、シングル売上は31万枚を突破した。高田の楽曲として「私はピアノ」に次ぐ2番目のヒット曲となった。
高田は1985年6月に歌手業を含めての芸能活動を停止したが、2015年8月放送のNHK『思い出のメロディー』で30年振りに復帰し、同曲と「私はピアノ」の2曲を歌唱披露した。
B面の「DÔMO DÔMO」は三浦徳子(当時の筆名はみうらよしこ)のデビュー作である。
デビューから3曲連続でヒットを出すが、その後、ヒットが出なくなるなるが、1980年にサザンオールスターズのカバー曲「私はピアノ」でスマッシュヒットを久しぶりに出し、紅白歌合戦にも復帰した。
⇑ 作詞・作曲:桑田佳祐、編曲:松井忠重
◎1985年2月、同じく鹿児島県出身で大相撲の人気力士で当時大関だった若嶋津六夫との婚約を発表すると同時に、歌手活動を含めた芸能界引退を表明する。
1985年に芸能界を引退した高田は、引退当初は自分のレコードや出演ビデオ、受賞トロフィーなども手放し、完全に芸能界から距離を置いていた[9]。
若嶋津が1987年7月場所に現役引退した後は、松ヶ根部屋(2014年12月以降は二所ノ関部屋に改称。放駒部屋の前身)の「おかみ」となり、2021年の定年による部屋経営の譲渡まで自ら相撲部屋の切り盛りをしていた[3]。 いつなん時も割烹着やエプロン、ジーパン姿で、全く着飾らない姿に夫から「お願いだからジーパンくらい新しいのを買ってくれ」と頼まれる程であった。結婚当初は自身の過去の経歴や夫の知名度から周囲に注目され、外出も億劫に感じたが、子供が出来てからは「子を持つ母親なのに過去を引きずる訳には行かない」と心境に変化が現れ、部屋の周辺地域にも馴染んでいった。九州男児で口下手な夫に代わり、時には部屋の弟子との間のスピーカー役も果たした。
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■「私の16才」(オリジナルは「ねえ・ねえ・ねえ」)
作詞:真樹のり子(「ねえ・ねえ・ねえ」は、たかはしのりこ)
作曲:たきのえいじ
◎「ねえ・ねえ・ねえ」<森まどか>(オリジナル:1979年:編曲・神保正明)
うわぁ!
初めて聴きましたが、キョンキョンの「私の16才」と一緒ですね。
森まどかさんは当時14才だったとか。
若いのに、歌唱力ありますね。
でも、タイトルは良くないですね。
「ねえ・ねえ・ねえ」って。
もう少し考えてあげれば、もっとヒットしただろうになあ。
当時のキョンキョンの事務所の社長が「ねえ・ねえ・ねえ」の良さを見出し、歌詞も曲もアレンジも森まどか版のままでいいから、ということで決めたとのこと。
バーニングのあの社長?北野誠を抹殺した。
タイトルは、「年齢を入れたタイトルが無難」ということで
「私の16才」に変えて、小泉今日子のデビュー曲とします。
南沙織の「17才」とかのことかしらん。
◎「私の16才」<小泉今日子>(カバーバージョン:1982年:編曲・神保正明)
アレンジが「ねえ・ねえ・ねえ」と違って、手拍子(ハンド・クラッピング)が入っているような気がします。そのぶん、テンポ良く聴こえます。
オリコン週間チャート1982年3月29日付で72位初登場で、22位まで上昇した。
TBSテレビ系列「ザ・ベストテン」へは、1982年5月6日に「今週のスポットライト」(同期デビューの三田寛子と共演)で、 日本テレビ系列「ザ・トップテン」へは、1982年4月12日に「話題曲コーナー」で、それぞれ各音楽生番組の初出演を果たしている。
キョンキョン、いまも若々しくて、政治的発言もするし、大好きです。
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てなことで、昭和歌謡の世界では、カバー曲でデビューするというアイドルも多かったようですね。
新しい発見もあって、楽しい記事づくりでした。
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