【追悼】クインシー・ジョーンズ追悼。クインシーのプロデュース作:レスリー・ゴーア「涙のバースデイ・パーティ」
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当時まだ16歳の高校生であったレスリー・ゴーアはニューヨークでクインシー・ジョーンズからヴォイス・レッスンを受けていた。
ゴーアの証言によれば、1963年2月、ジョーンズは200ものデモ・テープをもってゴーアの自宅を訪れ、離れの家で二人はそれらを聴き始めた。
両者が共に気に入った唯一の曲が「涙のバースデイ・パーティ」であったため、ジョーンズは同年3月30日、土曜日、ニューヨークのベル・サウンド・スタジオを3時間おさえ、本作品とポール・アンカから提供された2つの曲、計3曲をレコーディングした。この曲もそのとき録音。
編曲はクラウス・オガーマンが務めた。
レコーディングが行われた3月30日の夜、ジョーンズがカーネギー・ホールで開かれたシャルル・アズナヴールのコンサートに行くと、
たまたまフィル・スペクターも聴きに来ていた。
「最近『涙のバースデイ・パーティ』という曲をクリスタルズで録音したんだ(注・実際はブロッサムズであった)」
と、スペクターから聞かされたジョーンズは、
「スペクターに先をこされると敗ける。先に販売しちまえ!」と
会場を脱け出し、急いでベル・サウンド・スタジオに引き返した。
スタジオでテスト盤を100枚作り、2日かけて全米のラジオ局に送って、ジャンジャン放送してもらった。
おかげで、全米NO.1。
スペクターは、さぞ、悔しがったであろう。(苦笑)
友人でも、仕事の秘密はしゃべってはいけないという教えがある。
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クインシーの御冥福をお祈り申し上げます。
合掌。
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