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【昔のバイト話】⚾️甲子園球場で「切符切り」のバイトをした大学3年の思い出。

プロ野球のときもイエローシートの門扉に立ちましたし、春夏の高校野球のときも朝5時の始発に乗って朝7時から門扉の裏で待機しました。

高校野球のときは、全試合で遅刻せずに、バイトに行かなければいけないのは当然ですが。

プロ野球のときは、いい加減。

「今日、昼からヒマやなぁ〜」
「甲子園で仕事ないか聞きに行こか」

と、予約も何もなしに、ふら〜と甲子園球場の事務所に行って、
「バイト空いてますか?」
「あぁ。まだまだ、いけるで」
「ほな、2人はいります」
「さいな。控室でまっとり」

てな感じで、仕事があれば働くし、無ければ家に帰ってテレビを観るといった、非常にお気楽なバイトでありました。

まあ、バイト代安かったですからね。(後述)

午後2時から、門を開いて、切符切りスタート。
終わりは・・・・。
そのころは、プロ野球はどちらかが勝つまで試合を続けるというルールしでしたから、いつ終わるかわからない。
一番遅いときで、夜中の12時すぎましたから。
野球評論家の福本豊さんが、14回表まで、両チーム「0点」がならぶスコアボードを見て、
「まるで、たこ焼きやねえ」
「加古川の人、帰られへんねえ」

と言ったのは有名な話。

甲子園内に名言集があります。


・・・


バイト代は、最短で2時間以内で終わっても、夜中12時まで10時間働いても、

「一律・3800円+帰りの阪神電車のチケット」

しかもらえません。

なので、働いているほうも、バイトリーダーが見ていないときは、
適当に手を抜いて働いていました。


いつもは、グルーンシート(バックネット裏のアンパイアの後ろの席です)の門番をしていたのですが、「今日はイエローシートのほうへ行ってくれるか」とバイトリーダーに命じられ、
「イエローシートいうたら、狂信的な阪神ファンが入ってくるところやがな。怖いのお」
と思いながら、関学・法学部で同い歳の「佐野元信くん」とふたりで、ユニフォームに着替えてイエローシートに向かいました。

「佐野くん、あと一文字だけ、ちごたら、佐野元春やったのにな」
「そうや。親、恨むわ」

などとアホな話をしながらイエローシートの門扉を開けます。

「おらおら!はよ、いれたらんかい!」
「わし、一ヶ月前から並んどったんやぞ!」

狂った阪神ファンが、切符を私たちに叩きつけて入っていきます。

だいたい、2時から6時前ぐらいまで、上品なお客様がわけのわからないことをわめきながら切符を渡しながら入っていきます。
ほとんどの人が「半券」を受け取りません。
「あの、半券を・・・」
「いらん、いらん。チップや」
そんな人ばっかりです、当時の阪神ファンって。

ときには、胸の部分に

「悪」


と白い字で印刷された黒いTシャツのオッサンが来ます。

バイト仲間では「悪Tシャツのオッサン」と呼ばれている有名な悪人です。


こんなTシャツです。

この悪のオッサン、当然、切符を持っていません。

「おれぁ、切符もってないからなあ!入れたれや!」

佐野くんと二人で、引き止めます。

「ダメです!切符がないと入れませんよ」
「なに、生意気なことぬかしとんねん。しばくぞ!」

その間に、佐野くんは社内電話で、警備会社のガードマンを呼びます。
1分ほどすると、警官のような制服を着たガードマンがふたりやってきて、「悪」のおっさんを連れていきます。

警備員といっても、同じ大学生のアルバイトなんですけどね。

私に向かって、
「おまえの顔、覚えたからなあ!おととい来たらあ!」

最後までわけのわからないことを言って連れて行かれる悪いオジサマです。


・・・

イエローシートの門扉の前には、たこ焼き屋(テキヤ)のおっちゃんの店があります。

おっちゃん、ときどき、青い積水のバケツを持って、
「ごめん、兄ちゃん。トイレ貸してんか」
「ああ、どうぞ」

おっちゃんは、別に小便をしにいくわけではありません。

たこ焼きをつくるために必要な「水」を、球場のトイレに汲みに行ったのです。
そうです。
当時は、甲子園球場のまわりで売っていた、たこ焼きやお好み焼きは、球場内のトイレの水でつくられていたのです。

よく、食中毒が起こらなかったもんです。

昔のヤクザには3種類の収入源が。「テキヤ」「博徒」「愚連隊」

試合が終わり近く、8回裏ぐらいになると、バスの出口にバイトは集合しなければいけません。

阪神が負けたとき、生卵やビール瓶をバスに投げつけるファンが多く、それをわたしたち学生アルバイトが「肉の壁」になって、バスを守らなければいけないのです。けっこう、命がけです。死人は出ませんでしたが・・・。

で、相手のチームのバスが無事に出ていくと、バイトは走って、事務所へ向かいます。着替えて、今日のバイト代をもらわねばならないからです。
そうです、このバイト、日払いです。
私達は日雇い労働者だったのです。ヨイトマケの唄です。

そこへ、さっきのたこ焼き屋のオッチャンが走ってきて、
「兄ちゃん、ありがとう。これ、売れ残ったから、食べてや」
「あ、ありがとう」

佐野くんと目をあわせ、
前を走っていた後に東灘消防署の消防署員になるバイトリーダーの豊田智洋に声をかけます。
「おーい、豊田。たこ焼きふたつもろたから、ひとつやるわ」
「おお、ありがと」
「リーダーみんなで食うてくれ」

さすがに、便所の水でつくったたこ焼きは食べる気にはなりません。

・・・


他にも、目の前でいかにも東北から来た貧乏そうな夫婦に、ダフ屋やチケットを売ろうとした瞬間、夫のほうが警察手帳を出し、その場で夫婦で抑え込み逮捕、という「警視庁24時」みたいな瞬間を目撃した話など、オモシロイ話は山程あるのですが、また、別の機会に。
お楽しみに〜。

刑事夫婦者の変装は見事でした。いまや、ダフ屋も減りましたなあ。


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