【小ネタ①】🎥東宝で「夫婦善哉」を撮った名匠・豊田四郎監督の小ネタ。
主に、文芸作品の映画化で有名になった東宝の豊田四郎監督。
決定打は、大阪が誇る無頼派作家・織田作之助「夫婦善哉」の映画化が大当たり。(「あいつの作品が映画で大当たりか。ちくしょうめ」と仲間の太宰治が悔しがったという)
キネ旬のベスト10に入り、興行的にも成功した。
◆◇◆
で。
豊田監督が川端康成の「雪国」を、池部良と岸恵子のコンビで映画化したときのこと。
まさに雪の中、撮影が終わって、ひとり酒を楽しんでいた池部良のところへ、ドタドタという足音が。
障子がガラッと開き、そこには、真っ赤な鬼のような形相の豊田四郎監督が裾を乱して立っていた。
「池部くん!」
「はい?」
「岸くんが奪われる!フランスのわけのわからぬ監督と婚約したというニュースが流れとるぞ!」
「えぇ〜!」
1956年9月、『忘れえぬ慕情』のタイトルで日本で公開された日仏合作映画の監督「イヴ・シャンピ」と撮影中に意気投合し、岸恵子はイヴと結婚することを決めたのだ。
「池部くん!いま、岸くんは、風呂からあがってひとり部屋にいる。今すぐ行って、犯してしまいなさい!」
「えっ!そんな無茶な!」
「無理やり、あなたの子どもを産ませるのです!岸くんは、日本映画界の至宝です。私はまだまだ、彼女主演で撮りたい映画がある。フランスに行かれると困るんや!」
関西生まれ育ちの豊田監督は、興奮すると関西弁になる。
「いや、僕にはできません。監督が岸さんのところへ行って…あっ!」
「そうです。あなたもご存知でしょう。私は男性しか愛せないのです!岸くんの裸を見ても、反応も何もしないのです!」
「す、すみません…」
「だから、君に頼んでいるんだ!頼む!岸くんを犯してくれ!」
◆◇◆
まあ、このときは、池部良は平身低頭、土下座して、許してもらったという。
豊田四郎は不服そうだったらしい。
池部良は、晩年にかけて、エッセイ本を大量に出版している。
1950年代の日本映画界の裏側を知ることができて非常に面白い。
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