
【旅の記憶】体験・記憶を文章で表現する
※本記事は、宣伝会議「編集・ライター養成講座49期」の講義内課題で作成しました。
「忘れたくない思い出」
普段は一時間に一度煙草を吸いに席を立つ父が、その旅中は一時間に二度トイレに席を立った。旅を終えて家族各々が自宅に帰った翌日、父から連絡がきた。
「旅の記憶」が悲しみの色をしていることは稀かもしれない。それでも、絶対に忘れたくない「旅の記憶」がある。
小学生の頃から大学進学で家を出るまで、休日は部活に費やしていた私。八歳上の兄も実家から離れた地で暮らしている。そんな家族だったから、家族旅行なんてした経験がなかった。しかし私が大学生になった今ならと、我が家史上初の家族旅行が企画された。
各々が各々の場所から、目的地金沢駅へと向かう。東京の大学に通っていた私は、当時開通されたばかりの北陸新幹線「かがやき」に乗り、まだ新しい匂いのする車内で初めての家族旅行に胸を躍らせた。定番の観光地を巡り、美味しいものを食べ、伝統芸能を鑑賞し、旅は滞りなく進んだ。父がやたらトイレに席を立つ、ということを除いて。
二泊三日の旅を終え、金沢駅でまた、各々が各々の場所へと帰っていく時。いつもは離れるのが寂しく、別れる寸前まで娘の顔を見ている親バカの父が、振り返らない。結局、一度もこちらを振り返らずに見えなくなってしまった。その翌日。「実は癌だった。もう先は長くないみたいだ。」
旅の前から分かっていたが、「家族旅行が終わるまでは」という父の意向で秘密にしていたらしい。
トイレに行っていたのではなく、泣き顔を見せまいと席を外していた。
別れ際、泣いていることが気付かれないように振り返らなかった。
たった一人で秘密を抱えて過ごす旅は、どんな気持ちだったのか。「死にたくない。」と叫びたかったのではないか。何も知らずにただ楽しんでいた自分が情けなくなり、苛立ち、悲しくなった。
父が亡くなる少し前、人生で一番楽しかった思い出を聞く機会があった。その答えは、
「愛する妻・息子・娘との家族旅行かな。とてつもなく楽しかったよな。」
父は、辛さと悲しさに支配されて泣いていたわけではなかった。たわいない会話の尊さ、家族と過ごす時間の楽しさ、愛おしさを知り、涙していた。そして家族のためを思い、全てを隠し通した。自分の命の終わりを提示されてもなお、私たちを愛で包み込んでくれていた。
この旅は九年前の旅だ。金沢に行ったという記憶以外、何を食べたのかどこに行ったのかほとんど覚えていない。でも、みんなの楽しそうな表情と、そこにあった父の愛は絶対に忘れないし、忘れたくない。
まだ、この「旅の記憶」は悲しみの色をしている。一方で、流れる涙が少しずつあたたかく変わってきてもいる。私の心身の一部になっている、大切な「旅の記憶」である。