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推しに対する重めの感情を持て余すとき、おそらく伝えることのないアーティストへの愛を顧みる
推しの女性声優さんがいる。
定期的に手紙を書いたり、プレゼントを送ったり積極的にイベントに行ったりする。
私にとって星の光のような存在であり、力をくれる人だ。
だから私も何かを返したいと願ってしまうし、僅かながらでも力になりたい。
善良で品行方正なファンでありたいと思いながら、時々レスをもらえれば心から幸せだし、もっと欲しいと思ってしまう。
ましてや、その人が男性と結婚のご報告……なんてことになったら多分2週間は泣いて暮らすと思う。
重い感情を持ちたくないとあがきながらも、なんだかんだで深みにはまってしまっていた。
これが沼というものか、と身をもって実感している。
その一方で、私は中学生以来、20年以上好きなロックバンドがいる。
ライブは一度しか行ったことがないけれど、アルバムはリリースされるたびに買った。
ずっとずっと聴いてきた声、ギター、ベース。
人生の節目節目、そのバンドの奏でるあらゆる音楽と共に過ごした。
でも、一度もファンレターを書いたことはないし、これからも書くことはないと思う。
近年、そのバンドのメンバーが、恋愛絡みの不祥事で報道された。
ネットニュースでそれを知っても『そうか』と思っただけで、特に心が動かされることはなかった。
私はただ、彼らの音楽が好きだ。
激しく熱量を燃やしながら応援する推しと、好きなアーティスト。
私にとってはどちらも大切だけど、当人たちはどう感じるのだろう。
どこか自分勝手な思いを抱えながらも、目に見える形で応援されるか。
応援されていたことに気付くことすらないながらも、静かに応援されるか。
その問いに対する答えはないとしても。
大切な人にほど『穏やかな愛情』を向けられなくなってしまうのは、どうしてなのかな。