新自由秩序
1.はじめに
最近キャッチーな見出しとか色々工夫していたいなと思いまして、これからは『〇〇と△△』みたいなものだったり、今回みたいなものだったり、読書記録の時は出来る限りどんな本なのか分かり易い様にしたいと思いますが、そんな感じのタイトルで色々投稿していきたいと思います。
2.ネオ・リベラル・リアリズム
基本的には色んな人々が無意識に描いている事かもしれませんが、少なくとも私は『完全な自由』という言葉が理想的な存在であり、この世に実現するものではないと考えています。それは決断という個人的、哲学的な自由に於いてもそうですし、自由という言葉を捉える際に主に考えられる集団的、社会学的という観点でも同等に言える事だと考えています。集団的、社会的自由という言い方で表すと少し理解しにくい概念かもしれませんが、『集団の中で生きる個人としての自由』と言い換えればもしかしたらもう少し伝わりやすいかもしれません。要するに『人を殺したらいけない』とか『人の物を奪ってはいけない』とか、公益を害するような自由は保証されないという基本的概念です。他者の自由を脅かさない限りにおいて個人の自由が保証されているとも言い換えられると思いますが、まぁこれ以上同じようなことを言っていてもここが一番重要という訳ではないので主張を進めていきたいと思います。
ここまではただのネオ・リベラルの部分でしかありません。自由という概念に関して私たちが求めるべきものはあくまで無制限な物ではなく、『他者に危害を加えない限り』という集団的、社会的な生物としての自由であるという、正に社会契約説的な思想の根底を復習しただけです。まぁここからも社会契約説の復習とそう内容を違える事はありませんが(笑)
では、次に必要なのはこの自由を保持する事です。いくら自由を掲げたところで、それが実現されないのであれば全く意味がありません(自由を掲げる事そのものに価値があるとされる場合もない事はないのですが、結局それらが何故価値があるとされるのかといえばそれによって自由を実現しようという意思が統一されるという、これもまたやはり実現の為に行われる行為の一つに違いがないからです)。つまり自由はそれ単独では存在し得ません。ここに必要なのは自由を保証する何かであり、それは何を意味するかといえば単純明快で『自由を保証する事』です。では自由を保証するとはどういうことかというと『自由を推奨するための権力』という概念に行き着きます。例えば、人を殺すという他人を害する自由を殺人罪という権力で縛り上げることで我々は生命の自由を推奨されています。我々は『他人を殺す自由』を権力に譲渡し、権力はその譲渡された自由を厳重に禁じます。そして、その禁を破ったものが現れた時、それはまるで保険料が返ってくるのと同じように我々を事後的に守ります。例えば裁判などがそうです。そして、この『事後保険』的な存在によって我々がその自由を侵される機会は減らされています。
このように、我々はあくまで権力と自由の闘争の中にいるのではなく、権力という秩序の中に於いて自由を享受しています。勿論、権力が自由を与えるという現象は常に存在するものではない故に権力と自由が完全にイコールで結ばれているという訳ではありませんが、少なくとも自由というものが存在するときそこには確実に権力が存在していると考えるべきです。あるいは、権力なき自由は悲劇を生むという逆説的な考えでもいいでしょうか。
3.自由の堅持
またここで一応論じなければならない点があります。それはリベラルという概念と(自衛の為の)戦争という概念であると思います。ここに関して長々と論じたところでそこに何かが現れる事はないと私は考えているので結論をさっさと言ってしまいますが、自衛戦争という行為は自由を守るために存在しているものに違いありません。リベラルという考え方に於いて云々といって反戦主義を掲げる輩がいます。勿論侵略戦争は存在するべきではありません。ここに於いて私が論じているのは、積極戦争主義を掲げるということを言っているのではなく、自由を享受するための権力を維持するための闘争としての自衛戦争は確実に存在しているということです。国民がいての国家だと論じる人間が一定数存在することは知っています。また一方では国家に奉仕する存在だけが国民であるという論を掲げる人間も存在していますが、そのどちらもある意味では正しく、ある意味では間違っていると言えると私は考えます。要するに、国家というのは国民がいるからこそ成り立つという側面は存在してますが、それと同時に国民というものは国家を構成しているからこそ国家に奉仕していると考えることもできます。両者は同時に存在しているからこそ国家という体を成しているのです。国家の三要素として国民が存在しているというのはただ国家が国民のための機構であるということを示しているのではなく、国民↔︎国家という相互依存的な関係が存在しているという事を表しているのです。なので、権力を命を以て守るという行為は権力を以て命を守るとほぼ同義なのです。平時に於いて我々は国家に守られており、戦時において国家は我々に守られている。この概念を理解しておいて恐らく損はないでしょう。
4.最後に
非常にざっくりとした国家論ですが、今回はこの辺りで終わりにしたいと思います。またしっかりとした国家観を示す機会があればいいなとも思いますが。
ちなみに個人的、哲学的な自由に関しては今回はあまり関係ない事なのでスルーさせていただきましたが、もしも気になるという方がいらっしゃる様でしたらコメントさえいただければまた別枠で記事を投稿したいと思います。