失語症のオオタニさんがおつかいに行った日の話
オオタニさん(仮名)と私には、いくつか共通点があった。
まず、同い年。
次に、神奈川県出身。
そして、横浜ベイスターズのファン。
彼の仮名を「オオタニ」にしたのは、彼のファーストネームが我々世代がよく付けられた有名野球選手の名前だったからだ。
今でいうなら大谷翔平選手の名前を付けるように。
私は言語聴覚士をしている。
何かの理由で言葉や聴こえ、食べることなどに障害を負った方々を支援する、リハビリテーションの仕事だ。
私がオオタニさんの外来リハビリを担当することになったのは、今から10年以上前、私たちはまだ30台半ばだった。
オオタニさんは若くして脳卒中になり、半年のリハビリ入院を経て自宅退院し、外来リハビリに来ていた。
脳卒中になり、オオタニさんには右半身の麻痺と言語障害が遺っていた。
オオタニさんの言語障害は失語症といって、頭の中にあるイメージや考えを言葉や音にすることが難しいという症状だった。
例えば、リンゴと言いたいとすると、丸くて手のひらサイズで赤くて甘酸っぱくてなどは頭に浮かんでいるのに、その名前が出てこない。
名前が出てきてもそれが音にできない、といった症状だ。
リンゴのことはわかってるけど、フランス語でなんて言ったらいいかわからないから伝えられない、そんな状況に近いかもしれない。
病前、オオタニさんは一人暮らしをしていた。
幼いころから好きだったという鉄道関係の仕事をし、休みの日には横浜ベイスターズの試合を見に行った。
脳卒中になり、オオタニさんの生活は一変した。
リハビリ病院を退院するとき、ある程度身の回りのことは自分でできるようになっていたが、積極的には自分でしようとしない。
オオタニさんのおかあさんは息子の家に泊まり込んで身の回りのお世話をしていた。
オオタニさんのリハビリは、言語担当の私(言語聴覚士/ST)、歩行やその他の運動を担当する理学療法士(PT)、上肢のリハビリや生活の中の動作でどのように体を使うかを担当する作業療法士(OT)、3職種のチームで行っていた。
私たちチームの目標はオオタニさんの社会復帰だった。
まずお母さん頼みの生活から自立、職業訓練に適した次のリハビリ施設にステップアップ、そんなプランを立てた。
オオタニさんは元の仕事には戻りたいと言っていたが、自分の生活の自立には、あまりはっきりしたビジョンがないようだった。
なんらかの理由で障害を持った人が、リハビリをしてなにかできるようになったとして、すぐにそれを日常生活の中で積極的に使用するかというと、必ずしもそうではない。
今まで何も考えずに行えていた日常生活ができなくなるという喪失体験は、その人を前向きな気持ちからを遠ざけてしまうことがある。
また病院という場所は、主には安全のためだが、なにかと禁止されることが多く、受け身の生活になりやすい。
といっても、私もできるけど面倒だし疲れるからやらないこともたくさんあり、代わりにやってくれる人がいるならばお願いしたいというのは、障害の有無に関わらずみんなそうかもしれない。
オオタニさんの生活自立のためには、なにかきっかけをつくる必要があった。
私たち「チームオオタニ」はある作戦をたてた。
名付けて、お買いもの作戦。
というと大げさだが、買い物の練習だ。
オオタニさんはもともと自炊はせず、外食やお惣菜などを買って食べる食生活だった。
とりあえず、買い物ができれば、食生活は自立する。
オオタニさんは運動機能としては屋外歩行自立だったが、お母さんが常に付き添い、外来リハビリのために病院に来る以外の外出はほぼしていなかった。
現代社会では、買い物は言語障害があっても可能だ。
欲しい品物をレジに出して現金かクレジットカードを提示すれば購入できる。金額がわからなくても、店員さんに財布を見せれば必要なお金を取り出してくれる。お箸などは身振り手振りで伝えてもいいし、よくわからなくても定員さんが臨機応変に対応してくれる。
あとは行くかどうかだけなのだ。
オオタニさんは買い物に行くことに乗り気ではなかったが、やや強引に連れ出した。
自分は欲しいもの、買いたいものがないというので、作業療法士がおつかいを頼むかたちになった。
外来リハビリ終了後、作業療法士に渡されたおつかいメモをもって、一緒に病院の隣のコンビニに行った。
オオタニさんは文字は読解できるが、音にして伝えることは難しい。
自分がほしいものをもってレジに行くなら簡単だったが、これは結構大変かもと私は覚悟した。
入店すると、オオタニさんは私のそばにきて「どうする?」「これはさあ」などと困っていた。
私は「自分でやってね」としらんぷりを決め込んだ。
自分で探しに行って、わからずまた私のところにきて、無視され、またそれらしき売り場に行って。
繰り返すこと数十回。
店員さんも心配げに私に視線を送ってきたが、練習なんで大丈夫です!と頷いてみせてやり過ごした。
待って、待って、待って…
…1時間後、オオタニさんは意を決して、おつかいメモを店員さんに見せた。
待っていました!と応じる店員さんに付き添われ、必要なものを持ってレジへ。
無事お会計を済ませて店を出た。
オオタニさんは店を出て開口一番「もう、まったくさあ!」と笑顔で怒った。
翌週、外来リハビリに付き添ってきたオオタニさんのお母さんからお話を聞いた。
お買い物作戦の翌日、オオタニさんから帰っていいと言われ、自宅に帰されたそうだ。
翌日、何を食べたか確認すると近所の中華チェーンのレシートを見せられたとのことだった。
オオタニさんのお母さんは、心配そうな少しほっとしたような、そんな様子でお話された。
これを境に、オオタニさんはお母さんに自宅に帰るよう促すようになり、次第に生活は自立していった。
以前のようにできなくても大丈夫、今の自分でもできる。
オオタニさんは今の自分を少し受け入れたんだな、そう思った。
前を向くということは、今の自分を受け入れるということなのかもしれない。
このお話はここまで。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
オオタニさんとの話はあと2つ書きたいと思っています。
また読んでいただけたら嬉しいです。