見出し画像

その恋もう一度··· その八

第八章 白い妖精の中

 この春に陽菜を誘う予定はもともとあった。五月の連休、GW中に。メールを出す。
"今度のGW中にウスバシロチョウ見に行こうよ。"と。鎌倉以降、お互いの気持ちも知れたこともあり、話すのもメールも柔らかくくだけたものになってきた。
 毎年、春になると蝶好きは忙しくなってくる。まずは春のみに見られる蝶の一団がいる。通称「春の妖精」と呼ばれる蝶たちだ。有名なのは「春の女神」と呼ばれるギフチョウだがこっちはチャンス逃してしまった。
 そこでGWに見られるウスバシロチョウを見ようと誘った。この蝶もどこにでもいるわけではなく、ちょっとした山の中になる。高尾山などにも多くいるけど人が少ない所のほうが撮影も自由気ままににいける。なので自分は相模川上流の城山に行くことが多かった。今回もそうするつもりだ。
 当日は車出そうかとも思ったがGWで混んでいると疲れるので普通にバスで行くことにする。橋本駅で待ち合わせて、そこから小一時間バスに乗る。陽菜は旅行気分なのか楽しそうに見える。
 下車は城山ダム、津久井湖のところである。そこにある城山はハイキングコースのような道があって歩くのも楽しい。上から見下ろす津久井湖も綺麗だ。
 「山、気持ちいいね。」陽菜が伸びをしながら山道を登りだす。登ってすぐ「あっ詠一さん。あそこにトラフいるよ。」彼女は一応僕のことは「詠一さん。」と呼ぶ。トラフとはトラフシジミというシジミチョウのこと。
「えっ。あっ本当だ。」慌ててカメラ構えて撮影する。しかしちょっと近寄ったら逃げられた。
「あはは。今度はちゃんと準備しておこうね。」と言われた。そうだねと返す。そんなことしながらウスバシロチョウのポイントに行く。二十分ほど歩けばそこにつく。緩い斜面が草むらの広場になっている。立ち入り禁止ではない。道端にある四阿に荷物置いてカメラ持ってしばし待つ。いい天気で気温も上がってくる。
「そろそろ出るかな。」と陽菜に期待を持たす。
「ここに出るの?」陽菜は初めて来る。自分は何回か来ているのでその感触は分かっているつもり。
「そうか。陽ちゃん、ここはじめてだよね。」僕は彼女のことは陽ちゃと呼べるようになった。陽菜ではるな、なのだが陽の文字だけで、ようちゃん、と呼んでいる。
 そんなとき広場の奥の木々から1頭の蝶が滑空してくる。
「来た。」と一言。すぐ着地しそうな場所へ移動。カメラ持って待ち受ける。その1頭が合図のようにあちこちから蝶が滑空してくる。あっという間に自分らの周りに十頭近いウスバシロチョウが飛び回る。
 ただ不思議なことに、ここで蝶マニアに会ったことがないのだ。これだけの数のウスバシロチョウが独り占め、いや今日は二人占めかな。
 もう撮影し放題。とまっている蝶、飛翔の蝶。陽菜も蝶に囲まれてあちこち観察中。
「あ。ツマキチョウとかミヤマセセリいるよ。」と他の蝶も見つけて賑やかにしている。

飛んでくるウスバシロチョウを見つめる陽菜


 しばらくウスバシロチョウの乱舞が続くが、そのうち殆どが木の上の方に行ってしまった。この間、1時間ほど。
 さすがに撮影たくさんしたのでちょっと休憩。陽菜はまだ広場でいろいろ探しているみたいだ。そのうち広場からでてきて、すこし下がった草原のほうに行った。
「詠一さん。こっちで休もうよ。」とそちらにある休憩所のようなところへ移動する。
「写真はバッチリだった?」と陽菜が訊くので、カメラを出して撮影した写真を見せる。
「わあ、綺麗だね。ウスバシロチョウは翅が透けているのも綺麗だよね。」そう、この蝶は本当に美しいと思う。パルナシウス属の蝶は世界でもファンが多い蝶である。
「蝶に夢中になって、どこか落ちたりしないでね。」と言われる。実際蝶に夢中になって追いかけてケガしたり死んでしまうような事故にあう蝶マニアもいるようである。
 充分な撮影が出来たし蝶達は引き上げたようなので、気持も多少まったりする。
 ここで、ザックからカップとコッヘル、アルコールストーブを出してお湯を沸かす。学生時代、山登りやっていたこともあって多少の道具は持っている。陽菜はアルコールストーブは珍しいようで、じっと見ている。
 紅茶を淹れて陽菜と並んで草原を眺める。手を握って寄り添う。目が合って、そっと顔を近付ける。
 陽菜が僕の顔を手で離した。えっ。と思ったが、陽菜が「人いないよね。」と見渡す。誰もいないし、声も聞こえない。
 それを確認すると、こちらを向いて目を閉じた。
そっと唇を重ねた。そのまま時間が、流れた。ふと目を開けると足元にウスバシロチョウがとまっていた。

 続く

いいなと思ったら応援しよう!