聖書の言葉一つ一つに込められた、神様の人類に対する深い愛。
約6000年前に書かれたとされる、世界最大のベストセラー「聖書」。
日本ではほとんど馴染みのない聖書ですが、世界では、クリスチャンを始め、世界の約半数の人たちが、聖書の言葉から影響を受けて生きていると言われています。
私はRAPT BLOGに出会うまで、聖書の存在は知っていても、宗教アレルギーであったため、一度も聖書を手にしたことはなく、怪しい書物という認識しかありませんでした。
しかしRAPT BLOGに出会い、RAPT氏が何度も、聖書とはどういう書物で、どのようなことが書かれてあるのか、聖書を読むことによって、人生にどのような変化が起こるのかということを、ご自身の経験を踏まえ、どこまでも分かりやすく教えて下さり、これまで誰も解くことが出来なかったこの世の闇を解き明かすことができたのは、聖書を何十回と通読して来られたからだとも教えて下さいました。
そのお話を聞かせて頂き、私も読んでみたいと思う様になり、35歳にしてようやく聖書を手にして読み始めました。
私は昔から読書が苦手で、聖書は2000ページあるため、私にとってとても長きに渡る書物だったのですが、RAPT氏がどこまでも詳しく聖書について教えて下さったことにより、難解に思える言葉も理解して読むことができ、聖書の一つ一つの言葉からどれだけ沢山の希望や恵みを頂いてきたか分かりません。
私は本を読むことで、人生を大きく変える程の心の変化を味わったのは、聖書が初めてでした。
そしてRAPT氏は私たちに、聖書を何度も読むことで、人間を超越した神様と同じ思考回路を手にすることができ、この世に確実に存在している悪魔やイルミナティに完全に勝利することが出来ると教えて下さっています。
RAPT有料記事316(2018年10月1日)聖書は神様の書いた書物だから、聖書を面白いと思って読める人が、神様の頭脳に近い頭脳を持った人だと言える。
私が聖書のすごいと思うところは、何度読んでも新しい発見があることです。
前回読んだ時には気が付かなかったけど、こんなにすごい言葉があったのかということが度々起きます。
その様な体験を何度もする中で、最近私が聖書を読んで気が付いたことがありました。
それは聖書には、私たちが普段あまり使わない言葉、漢字が沢山使われているということです。
例えば「おそれる」という言葉についてです。
旧約聖書にはこのような聖句があります。
「すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。神は、善をも悪をも一切の業を、隠れたこともすべて裁きの座に引き出されるであろう」 コヘレトの言葉 第12章13節〜14節
この聖句の中で使われている「畏れる」という漢字を、私は聖書の中で初めて知ったため、意味を調べてみました。
「畏れる(おそれる)」・・・何かを本当に尊い、力のあるものだと思い、その前で礼儀を失わないように控えめにする。
また新約聖書では、別の意味で「おそれる」という言葉が使われています。
「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです」 ヨハネの手紙一第4章18節〜19節
「恐れる(おそれる)」・・・危険を感じて不安になる。恐怖心を抱く。よくないことが起こるのではないかと心配する。危ぶむ。
聖書には、「神を畏れる」という言葉が何度も登場するのですが、私は数回通読はしていても、「恐れる」という意味でしか捉えておらず、「恐れる」ことは神様の世界では罪とみなされ、持ってはいけない感情だと教えて頂いたのに、どういうことなのだろうと調べてみると、「畏れる」という言葉の意味が「恐れる」とは全く違う事を知り驚き、自分がまだまだ固定概念に囚われていることを感じました。
また、「ゆるす」という言葉も聖書には沢山登場するのですが、聖書の中では「許す」ではなく「赦す」という漢字が使われています。
また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。 マルコによる福音書 第11章25節〜26節
「許す」「赦す」の意味はこちらです。
「許す(ゆるす)」・・・相手の願いや申し出を受け入れる・認める
「赦す(ゆるす)」・・・罪や過失を咎めないことにする
人によっては、誰かに嫌な思いをさせられたのに、過失を咎めないなんて綺麗事だと思われる方もいらっしゃるかもしれません。
私はRAPT BLOG有料記事を読み始めた当初、人に対して恨み、憎しみを抱いてはいけないこと、その様な感情が出たならば自分の過失を素直に認め、直ちに悔い改めの祈りをするように教えて頂いた時、自分にそんなことができるだろうかと思いました。
しかし実際にやってみると、みるみる自分の中からその様な嫌な感情が浄化されていくのを感じ、心が楽になっていきました。
その時、神様が罪だと定められている感情を自分の中に抱き続けてきたことが、どれだけ自分の心を苦しめてきたかを悟りました。
神様の世界では、罪だと定められている感情や考えが沢山ありますが、それらを神様を信じたからといってすぐに無くせる訳ではないことを、神様は重々ご存知であり、だからこそ私たちに悔い改めという機会を与えて下さっており、悔い改めて変われるようもがき続けるならば必ず赦して下さいます。
人間に、少しならまだしも、とてつもなく嫌な思いをさせられたのに、「ごめんなさい、絶対にもう2度と同じことをしません。」と言われただけで、過失を咎めず赦すことなど出来ません。
そこだけ見ても、神様がどれだけ私たち人間を愛して下さっており、神様がどれ程偉大な方なのかが分かります。
今回、聖書を繰り返し読むことで、聖書の隅々にまで散りばめられた神様の愛を改めて感じたというお話をさせて頂きましたが、聖書のすごさはこれだけではありません。
RAPT氏と共に、神様の働きを成していらっしゃる十二弟子の方々が、RAPT理論+αの中で、聖書に関する様々な記事を書いて下さっています。
聖書朗読のススメ。聖書を読めば有能になる。
聖書に書かれた奇跡が、RAPTさんの周りでも実際に起きている(十二弟子・KAWATAさんの証)
聖書に書かれた予言が、現在進行形で実現しているという驚き(十二弟子・ミナさんの証)
聖書は、神様のどこまでも深い人類に対する愛が込められた書物です。
ぜひ、RAPT BLOG有料記事と聖書を読まれ、この苦しみだらけの世の中で、心が救われ、人生を大きく変化させるという神様からの大きな祝福に満ち溢れた人生を、一人でも多くの方が歩まれますことを、心からお祈り致します。