なぜ僕らはぽっちゃり女子に惹かれるのか
はじめに
本稿ではデブという単語を使用しない。ぽっちゃりと表現する。
これは一般的にどうかという話というより、私の主義に反するからである。
世間一般ではこの2つの違いについて言及し様々な方が定義付けをなさっているが、私にとっては蔑称と呼称の違いになっている。
宗教上の理由と考えていただけると幸いだ。
私にとってその呼称は、日本人をジャップと、アメリカ人を鬼畜米兵と呼ぶのと同義であるからだ。
誰だって好きなものを蔑称で呼ぶのは好まないだろう。信仰対象の絵は踏めないのが人情というものである。
ぽっちゃり好きのルーツ
好きなものは好きである。
そう言ってしまえばそうなのだ。
好きに理由を見いだすのはある側面からは無粋であるし、本当に突き詰めてしまえば“好きだから好き”というのが正直なところである。
子供の頃、意味もなく石ころを集めていたり、ビーズの玉なんかを集めてしまうのも、おそらく理由なんてないのだ。
好きだから好きである。
しかし、それではそもそも本稿を書いた意味がなくなってしまうので、なるべく好きの理由を言語化し、好きの理由を読者諸君にご理解いただこうというと思う。
いつから好きだったのか?
そう問われれば正直なところは覚えていない。
初めてぽっちゃりした彼女ができた時にはすでに好きであったし、その手の動画サイトはいわゆるぽっちゃり系の女優の動画で占められていた。
全然関係ないが、ぽっちゃり系女優はなぜ人妻設定が多いんだ?
別に学生服姿だっていいじゃないか。
いや待て、それはさすがにエロすぎるか。
やめておこう、戯言だ。
何か印象的な体験があったわけではない。
ただ、気がついたら水着の上に乗るお腹に、ニーソックスから溢れるふとももに、ゆるやかな流線型を描く肩のラインに、あごの下に収められた肉に、私は興奮を覚えていたのである。
その昔、古文だったか歴史の授業で、平安時代はふくよかな女性が好まれたというのは、おそらく全国の教師の鉄板ネタだろう。
もれなく私も中学だったか高校だったかの時そんな話を聞いた。
かの世界三大美女の楊貴妃も豊満な体をしていたという。
これらのことを考慮に入れるのであれば、我々のDNAにはそもそもぽっちゃり好きの遺伝子が組み込まれているのではないだろうか?
私がぽっちゃり好きになったのはDNAの隔世遺伝、性癖の先祖返りと呼ぶべき現象であり、むしろこれこそが日本人らしさとは言えないだろうか?
そして、そうだとするのならば何らかのきっかけで、ぽっちゃり好きが加速度的に目覚め、世界のマジョリティがぽっちゃり好きになる日が来ないとも言えないのである。
では、魅力について
いよいよもって、本稿最大の本文である。
ぽっちゃりの何が良いか?
1つにはその見た目がある。
全体的に丸みを帯びたふくよかなフォルム。これはそもそも人間は曲線が好きであり、それに対して可愛いと思うようにできているので、自明のことである。
ゆるキャラなんかを見てもそうだろう。もしくはポケモンでもいいし、ドラえもんでもアンパンマンでも構わない。
人は曲線で構成されたものに対して“可愛い”という感情を抱く。
球体に近ければ近いほど可愛いのはもはや証明されているのだ。
男たるもの可愛い女性が好きなのは当たり前であるし、可愛い要素がたくさん詰まったのがぽっちゃり女子である。
まるっとした顔、ゆるやかな曲線を描く肩のライン、手なんて最高だろう。
クリームパンに通称されるぽっちゃり柔らかな手!
あの手を触りたい、手を繋いでみたいと思う感情は誰に止められるものでもないだろう。
お腹周りなんていうのは筆舌にし難い。
諸君らはびっくえんじぇるというぽっちゃりアイドルが、水着姿でダンスをしていたのをご存知だろうか?
飛んだり跳ねたりする振り付けを考えた振り付け師には大変感謝申し上げると共に、Youtubeにあんなエッチな映像が無料公開されている現代のエンタメに末恐ろしさも感じる。
おそらく揺れるお腹や胸からはα波的ないやしの波動が出ているに違いない。
私は脳科学や量子力学に詳しくないがきっとそうだ。
それらを見るだけで私としては好きの感情が溢れ出してくる。
お尻の小さな女の子が流行っていた時期もあったようであるが、
しかし根源的にはやはりお尻が大きな女の子の方がやはり魅力的に映るものである。
グラマラスなどという言葉があるように、人は大きなお尻に惹かれるのだ。
ここについてわざわざ語るべくもないだろう。常識である。
太ももに関してももちろんのことだ。
女性受けという話ならば細い足を褒めそやす文化もあるようであるが、
しかし、あれを喜んで見ている男性を私は知らないし、
知っていたとしてもきっと話が合わないだろう。
ソックスに乗る太ももの肉感。
あの直線と曲線のコントラストは人類共通の興奮材料であろうし、
柔らかな太ももを枕にしたいという欲求はもはや三大欲求の隣に添えられるほど大きなものであろう。
逆にいえば足が細ければ枕にするには心もとないし、
したとて骨ばった太ももでは寝心地も悪かろう。
つまり、ぽっちゃりこそ、肉感こそが正義なのである。
そして、そんな見た目だけで可愛いぽっちゃり女子が美味しそうに幸せそうにご飯を食べているところなんかをみれた日には、誰もが一緒に幸せな気持ちになることだろう。
全世界のぽっちゃり女子よ、どうか食べることに罪悪感を抱かないでおくれ。
君が一心に楽しそうにご飯を食べるだけで、救われる人間がここにいるのだ。
第2に上げるとしたらそれは触り心地だろう。
通販で売っているマットレスは沈み込むほど柔らかいのがセールスポイントになっている。人をダメにするソファーも、裏起毛のコートも、とにかく人は柔らかいものに触りたい、包まれたいという原初的な欲求を持っている。
その柔らかさの象徴というものがまさにぽっちゃりなのだ。
もちろん、痩せているのが悪だと断ずるつもりはない。
しかし、肌が触れるほど共に過ごすパートナーを選ぶ時に、骨ばった相手よりは、柔らかく豊満でふくよかな相手に惹かれてしまうというのは、もはや仕方のないことである。
手をつなぐ時、指先から伝わる感触。
後ろから抱きしめた時に触れる体のやわらかさ。
当然だが硬い骨の感触よりも柔らかな肉の感触の方が触っていて気持ちいいのである。
よくこの話題を上げると見た目や触り心地が全てなのかと議題に上がる。
全てではない…それと同時に大事な要素であると私は思っている。
例えば同じくらいの性格の良さや器量を持ち合わせている人がいるとして、片方は痩せ型で片方がぽっちゃりであれば、
間違いなくぽっちゃりの方が魅力的なのである。
見ているだけで幸せになれるし、触れればどこを触れても気持ちいいのだ。
母性のように包み込んでくれそうな包容力と、
赤子のような見た目の愛くるしさを兼ね備えている。
いわんや、理想的な女性像とはここにあるのではないだろうか?
エッチな話をしてもいいだろうか
これは大きく女性票を下げてしまう話かもしれないが、
しかしこれを言わないことには誠実さに欠けるとも思う。
私はぽっちゃりした女性が好きであるし、その上でエッチなことも好きだ。
女性の魅力としておっぱいとおしりを話題に上げるのは、もはや全世界共通であろう。
大きければ大きいほどいい。
それはなぜか?
男性は本能的にこれらを揉みたいと考えているのだ。
ではこう考えてはどうだろうか?
お腹も揉めたら? 二の腕や太ももを揉めたら?
なんと全身で楽しめるのである。
え?誰がそれを叶えてくれるのかって?
もう諸君らなら分かっているだろう。
ぽっちゃり女子である!
肉感=エロの図式が成立するのなら、
ぽっちゃり女子はすべからくエッチな体をしているのだ。
まとめとして
いかがだっただろうか?
いや、いかがも何もないだろう。
つまりはそういうことなのだ。
どこをかいつまんでも、ぽっちゃり女子を好きにならない理由が見当たらないのである。
しかし今日に至るまで、ぽっちゃり女子は世間ではマイノリティとされてしまっている。
おそらく世の男性は目に鱗がこびりついて生まれてきたのだろう。
私は生育過程でそれに気がつけて本当によかった。
世のあまねくぽっちゃり女子に感謝を。
君が君らしくいてくれるおかげで、僕もまた今日を幸せに生きて行ける。