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人生初のフルマラソン記念日

2018年10月28日(日)
人生初のフルマラソンの舞台は横浜マラソンだった。自分にとって大事な挑戦をしたこの日を忘れることなかれと自分に言い聞かせながら書いている。
必死に走りながら感じたこと考えたことを忘れないうちに綴りたい。


「マラソンは一人で走る個人競技だけれど、一人では走れない競技である」

矛盾しているのだけれど、今回42.195kmという長い道のりを走ってみて、ひしひしと感じたことである。走っている時は周りとの競争というより、自分との戦いではあるけれど。それでも、一人では走れないし、一人だと感じることがなかったのである。

なぜ、一人では走れない競技だと思ったのか。

①応援
今回横浜マラソンに出ると言った時に、完走できるのかとバカにされることはほとんどなく、それ以上に沢山の人から応援してもらった。走り方を教えてもらったり、「頑張れ!!」と声をかけてもらったり。私にとって大きな力となった。
そして、当日の沿道の応援。あの応援は本当にすごいパワーを私にくれた。42.195kmを一度も立ち止まらず、走り続けることができた要因の一つは「応援」だと考える。3週間前にハーフマラソンの大会に出たのだが、その時は小さな大会、そして河川敷ということもあり、応援はなくただひたすら走る形だったので盛り上がりにかけた。そして辛くて途中何度も歩いた。走り続けるということはしんどいことであり、その時に誰かに応援されることで、その辛い状況を和らげることができる。応援のなかったハーフマラソンも経験していたため、「応援」は応援されている方にありえないくらいパワーを与えるものだと、気づいた。

沿道の中に「パパがんばれ」のプレートを持って応援している子供がいて、必死に応援している姿を見て、幸せを分けてもらった。
将来子供ができたら「パパがんばれ〜っ!」て一緒に応援したいと新たな願望が生まれた。

②運営/ボランティア
この人たちなしに走ることはできない。今回の横浜マラソンは28,000人が走った。給水所や道路の誘導、荷物預かりなど、多くの運営者、ボランティアの方々に助けられた。給水所でアクエリアスをくれた人の中に中学生くらいの子供もいて、私は見た目全然笑えていないけれど感謝の気持ちでいっぱいになった。その他、留学生っぽい外国人のボランティアもいて、グローバリゼーションの波を感じた。

③音楽
応援と同じく、音楽にもパワーがある。途中のパフォーマンスや音楽で、活気をつけモチベーションをあげることができた。ただ、途中で走るルートが高速道路になり、沿道とは違い静かで淡々としていて走るのが辛すぎたため、イヤホンをつけ音楽を流した。今回は、QUEENの「Don't stop me now」に助けられた。とても気持ち良く走れたのである。この曲はリリースが1978年で、40年前に発売された曲に時空を超えて助けられたことになる。音楽は未来の人にも元気を与えることができるから最強だと感じた。

④母
今回、私が横浜マラソンに出るきっかけは、母が走るからだった。
大会前に気合いを入れて走り込みすぎた母。痛みがひどかったらしく、普段なかなか病院へ行かない母が、レントゲンを撮ってもらったら、右足の筋肉が炎症を起こしていると。疲労骨折ではないからよかったけれども、お医者さんに「ちょっと頑張りすぎちゃったね」と言われる始末。あまり走らない方がよさそうな状況なのに、痛み止めの薬を飲んで母はフルマラソンを走ったのである。そして完走したのである。「やりたい気持ちと気合いで走った」と母。母の強さを思い知った。
私も母の年までフルマラソンを走れる健康体でいよう。

マラソンは一人では走れない。ただ、最終的に走っているのは自分であり自分はすごく重要である。走りながら、周りではなく己の中に思いを馳せていた時に感じていたことがある。

⑤自分(己)
まず、体が動く自由。どんなに走るのが辛くなっても、痛くても前に進めるということ。もう意味が分からないし、意識もどこかへ飛んでる状況でも、痛いのに走れるのである。「5時間以内に完走」という強い意志があったからこそとは思うが、前に進めることに私は喜びを感じた。
フルマラソン後半、周りに歩き始める人が増えてきたあたりが一番辛かった。歩いたら楽になる。歩きたい。でも一度歩いてしまえば走れなくなる。歩き癖がついてしまう。「歩く」という楽に逃げてはいけない。自分に負けてはいけない。周りとの戦いではない、周りを気にしてはいけない。これは自分との戦いであるのだと、自分に厳しくなれた。「自分との戦い」というものを身にしみて感じた出来事であった。

「マラソンは一人で走る個人競技だけれど、一人では走れない競技である」

マラソンだけでなく、他のことにも言えることだけれど、一人でできることには限界があって、自然に他と共存しているのだと思う。

終わって帰っている時に、マラソンを完走してみて感じたことを母に話していたら、「よくそんなこと考えながらフル走れたね」と言われた。母にとっては2度目のフルマラソンで、私にとっては初だったので、より多く感じるものがあったのかもしれない。

ハーフマラソンを走っていたおかげか、マラソンを楽しめる余裕があった。自分の走りが成長していた。辛かったけれど、私はすごく楽しかったんだ。走れる喜びを感じたんだ。

身体の自由、健康でいることがとても大事だって
当たり前なことに気づいたんだ!!


おわり。


ゆうき。


私の将来のささやかな夢は愛のあるほっこりエッセイ本を出すことです。サポートしていただいたお金はエッセイ本を作るための費用にあてさせていただきます。