名前のない生き辛さ
睡眠不足がピークにくると、やたらに過去の回想が増える。
久しぶりに、災難が続きほとんど寝られずに仕事へ行くことになった日があった。ふらふらするも、一日を何とか過ごす。
そして、思い出す。こんな感覚が当然だった頃があったなと。
わたしは高校生活を、進学校で過ごした。勉強が厳しく、ついていくだけで必死。家庭の事情で家事もしており、勉強の時間を確保するためには、必然的に睡眠時間を削るしかなかった。
10代の若者って、保護者や先生に守られていて、責任もなく、いろいろと自由もあっていいよね!って、大人に言われていたけど、別にそんないいものではなかった。
その頃のわたしは、「自由という名の牢獄」で過ごしていたように思う。
あれやれ、これやれ、あれやっちゃダメ、これやっちゃダメ
良い子でいなさい!と言われるも、実際は、試験で良い成績をとり、先生に気に入られるのが良い子。先生や親の目の届かないところで何をやっていても、大丈夫。要領の良い子が生きやすい環境なのだけど、そんな環境に疑問を持つことは許されず、わたしにとっては、息もできない感じだった。
大人のように、逃げ場なんてなくて、学校もきつい、家庭内も苦しい
本当に心の休まる居場所なんてほとんどなかった。
そして、こんな生活をずっと続けていったなら
「いつか病気なっちゃうよ!」と感じていた。
その予感あたってるよ。
そんな、無理な頑張りを続ける人生変えた方が良いよ!
そこから10年かからず、私はしっかりとうつ病になった。
病院の診察室で、医師に病名を告げられた時のこと
今でも、不思議とよく覚えている。
とてつもなく苦しくて、不安で、倦怠感がすごくて、歩くのさえやっと
なのに「うつ病です」と言われて、ほっとしたんだ
少し、安心したのは紛れもない事実だった。それは、他でもなく
それまで抱えていた「名前のない生き辛さ」に、名前を与えることができた瞬間だったからだ。
あぁ。私はやっぱりおかしかったんだ。苦しくて当然だったんだ。
病気だったんだと、腹の底に何かがすとんと落ちた。
それまでは、苦しいと周囲(特に家族)に訴えても、周囲は誰もそんなはずがないと認めてくれなかった。
私は間違っていて、この苦しみは、私の考え方・感じ方がおかしいだけ。
ただの、「錯覚」とされてきた。
病気という形を与えられたことで、わたしは困難が把握できることを知り、それからは、”漠とした生き辛さ”に向き合える人生を歩み始めたのだ。
10代後半から、うつ病になった20代の半ばにかけての私は
当然のように、
毎日楽しくなかった
よく眠れなかった
人間が信じられなかったし、何より怖かった
不安なことばかりだった
そして、誰の事も好きではなかった、もちろん家族も
何より、自分のことが大嫌いだった
自分のことが好きってどんなひと?おかしんじゃない?と思っていた。
でも、病気になって、自分の人生がいよいよ手に負えなくなったとき
そこには「病気を与えられた」と感じている自分がいた。
それは、ありのまま自分を受け入れようとする不思議な感覚だった。
”うつ病だよ”と教えてもらったことは、もう傷つかなくて良いこと、
自分をもっと大切にして良いこと知る、最初の一歩だったのだ。
そこから、わたしの再生は始まった。
この漠とした苦しみには名前があったのだ
"なるべくしてなったんだ"
「なるべくしてなった」とは、生活習慣や認知の歪みから、まさしく自分で呼び込んでしまったという意味。また、同時に神さまに与えてもらったという意味。
そこから長い年月をかけて自分と向きあい、乗り越えた今だからこそ思う、わたしの人生に、本当に必要な試練だったのだと。
正直言うと、もうちょっとお手柔らかにお願いしたかったが。
Q.なんのために「うつ病」という名の試練は与えられたの?
A.わたしを作り変えるため
どうして「うつ病」になってしまったのだろうと、原因を探して時間を空費するには、あまりに人生は短い。困難に向き合って、何かを得たなら、それを道具に新しい人生で、より多くの幸せを築いていったらいい。
闘病中は、仕事にせよ私生活にせよ、制限せざるを得ないことが多い。そのため、健康な周囲の同世代と比べてしまったら最後、自分はとても情けない人生を歩んでいるような気になってしまう。それこそ、錯覚なのに。
手に入るはずだったようで、手に入らなかった幸せを、いつまでも惜しんでいたって、何も始まらない。他人様と比べる必要なんてないんだよ。
今になってわかるよ、物の考え方や見方が変わった。自分を愛せるようになた。そして、平穏な日常に深い幸せを感じるようになった。
そうか、より良い人生を生きられるようになるためか!
神様、あまりに壮大な計画じゃない?
せっかくだから、その計画にのってみます。
この先も、精いっぱい、わたしの足跡を残していくよ。
今、苦しくてたまらない人も、大丈夫だよ。
その苦しみは、必ず”癒される”ものであることを知ってほしい。
じゃ、またね。ありがとう!