いじめ対策を考える 3
割れ窓理論の本当の姿
二章で紹介した割れ窓理論には実は続きがあります。
落書きやゴミのポイ捨てなど小さな違反行為が見過ごされることで、強盗などの大きな殺人が誘発されることが実験で分かったニューヨーク市警は、警察官の働き方のスタイルを変えました。それまでは犯罪が起きてから駆けつける為に警察署に待機している警察官が多かったのですが、警察署に待機する警官を減らし、パトロールで回っている警官を増やしました。事件が起きてもパトロール中でも駆けつけることができます。
この変化によってで面白いことが起きました。警察官達はパトロールに出て落書きなど微細な犯罪を取り締まったのですが、それ以上に警察官と地域の人達のコミュニケーションが増え、警察と地域住民の間に人間関係ができていったのです。困ったことがあればパトロール中の警察官に相談したりといったこともあったでしょう。ニューヨークでは市民と警察の距離が縮まったことが治安回復を進めたのです。割れ窓理論はニューヨークで意外な効果をもたらしたのでした。
これをいじめに当てはめてみましょう。今、現場で行われているいじめの芽となる小さなトラブルやふざけ合いをカウントしてしっかり対応しようというのは、微細な犯罪も見逃さずパトロールを重視する警察官と同じです。
しかし、ニューヨークの警察官は当初の目的はそうだったかもしれませんが、小さな犯罪を見逃さないように街全体をパトロールして監視していたのではありません。パトロールを重ね、地域住民と関係を築き、それが結果として犯罪の減少につながったのでした。
つまり、学校の先生方もいじめの発見を目的とするのではなく、子ども達との交流を増やして関係をより築き、その結果として子ども達の色々な問題の改善が見えてくるのです。
これが割れ窓理論によるニューヨークの治安回復の実践例から日本の学校がいじめ対策として学べることです。
つまりいじめ対策に必要なものは
先生が子ども達との時間を増やす。なんだか当たり前のような対策で拍子抜けかもしれません。
現状の微細ないじめのきっかけを発見して報告するというのは、先生方の事務処理を増やし、子ども達と一緒に過ごす余裕を減らすので、むしろ逆効果です。重大ないじめ事案のみカウントすれば充分です。
子どもとの交流を増やすといっても、現在の多忙な状態では難しいでしょう。ニューヨークの警察は犯罪を待ち待機する時間をパトロールの時間に代えれましたが、現在の小中学校の先生にはその代える時間がありません。
ですから、いじめ対策として真っ先にするべきことは教員の増員であり、その為の予算の増加です。それに加えて事務処理などの教員への負担軽減もされなければいけません。
では、どれくらい教員を増やすべきか。よく学校で一人二人増やすことや学級の人数を四十人から三十人に減らすことで教員を増やした効果について議論されますが、おそらく少しだけ増やしても効果は薄いでしょう。
余裕を持って子ども達に接するには今の状況の倍の先生が必要でしょう。先生が二人体制でクラスを見るくらいの増員が望ましいと思われます。
そんな無茶なと思われるかもしれませんが、オランダなどでヨーロッパの国々ではクラスの人数は二十人程度。そこに二人の先生がいるような状況なので、ざっと今の日本の四倍の先生がいます。私の案はそんなオランダの半分の先生の数です。決してできないことではありません。
そこまですぐにできないとしても、教員の数を増やすことはいじめの対策として必須といえるでしょう。
もちろん、ただ先生が増えただけでは充分ではありません。先生方がいじめとは何か、いじめはどんなメカニズムによっと生じるかを理解していなければ、今と同様に学校がいじめを認めないような事態が繰り返されることでしょう。
この章での冒頭でも述べたようにいじめの理解のある人を増やしていくこともとても大事になります。それは生徒でも先生でも同じです。
今いじめられている人へ
ここまではかなり理論的な話ばかりでした。最後に、今いじめにあっている人に向けての対策を伝えたいと思います。
今まで書いてきたように、いじめは集団のメカニズムによって引き起こされるものです。それに一人で立ち向かうのは大変です。
と、同時にいじめがその集団の持つ力に大きく依存していることは対策のヒントになります。
対策の一つは逃げることです。集団に対して一人で立ち向かうことなく、その集団を離れてしまうのです。学校でも何でも、いじめがきついと思ったら、その集団から逃げてしまいましょう。相手は集団の力なのですから、恥ずかしいことではありません。
対策の二つ目は、外部の力を借りることです。その集団の中での評価は関係ありません。暴力を受けたなら警察に相談しましょう。すぐには警察は難しいかもしれないと思う様な時は、外部のいじめ相談に連絡を取ってみましょう。いじめが起きている集団の外へと助けを求めます。これならいじめの集団の力は及びません。
声を上げよう
声を上げようといっても、いじめられている人へのメッセージではありません。これはいじめを見ているその集団にいる第三者へのメッセージです。
今まで述べてきたように、いじめはいじめてる側や周囲がいじめと思わずに行う可能性があるものです。ひょっとしたら、いじめられてる側もいじめだと気づいてないかもしれません。気づいてたとしても、なかなか自分からその状況を変えられません。
ですから、何か加害被害行為があると感じたら、周囲の人が声を上げることがとても大事なことです。当人達がそれでよさそうだから。言ったら自分も巻き込まれるんじゃないか。そういうことを考えて起きていることを無視したり、起きていないことと考えてしまうのはいじめの大きな特徴です。なので、いじめは起きていることを当たり前のこととしてしまう空気を崩すことが最も有効な対策なのです。
いじめという言葉すら必要ありません。それは犯罪だ、見過ごしてはいけない、という声を上げることが最も大事なのです。
改めて結論
学校はなぜいじめを認めないのか。
今まで「いじめ」という新しい概念を使って説明してきましたが、改めて普通のいじめという言葉で説明します。
学校がいじめを認めないことが多いのは、いじめというものが暴力など起きた問題行動を問題行動とは認めない集団の力を持っているからでした。
いじめというものはそうだとは認められにくい特徴を持っているものなのです。決して子ども達や学校が悪いというわけではありません。いじめはそういう性質を持っているもの。いじめそのものが悪いのです。
よって対策は、このいじめの特徴を多くの人が意識することが第一となります。集団が持つ空気を常に意識しながら、その空気が判断から常識を奪っていないかを振り返ることが大事になります。