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被害と責任を可視化する

 対コロナの政策がなぜ迷走しているのか。それはコロナがちゃんと見えていないからです。といっても見えるようにすべきなのはコロナそのものではなく、コロナによる被害です。
 原発事故後の福島県でその地域の空間線量を計りながら個人の空間線量を測定、推定しないことで健康被害の予想が難しくなっていた現状を以前に書きましたが、理屈はこれと同じです。大事なのは被害をできるだけ可視化すること、被害を定義することです。


 順を追って説明していきます。


1 被害の定義を決める


 まず、コロナの被害とは何かを決めます。コロナの被害を表す数字は感染者数や死者数でしょうか。私は 超過死亡数>コロナ死者数>コロナ重傷者数>コロナ感染者数 の順で重要度が高いと思いますが、他にも様々な数値があることでしょう。いくつもの数値データからコロナの被害の数値データを決めます。
 私はコロナの専門家ではないのでこんな定義がいいというのは分かりません。大事なのはコロナの専門家がコロナの被害を表す数値をちゃんと定義することです。極端は話、この定義が被害として間違っていたと後で分かったとしてもそれがはっきりしていない現状よりはまだましでしょう。コロナ被害が何かを決めなければ、いかなる政策もその評価をすることができないのです。   

2 大きな被害の定義を決める

 被害は何かを決めたら次はその大きさを決めます。どれくらいの被害から問題なのかを決めていくわけです。一人も死者を出さないというのは理想ですが、実際にはそんなこと言うと何もできません。どれくらいの被害の増加で感染対策やオリンピックなどの感染対策と逆の政策の是非とするのか、そのラインを決めるのです。緊急事態宣言でもまんぼうでもいいのですが、何か対策をしたらこれくらいの期間でこれくらいの被害が出た(もしくは減った)という結果が出るはずです。それが成功なのか失敗なのかの基準を予め決めておくのです。
 これは金銭的な被害も関係することでしょう。経済にどれくらいの被害が出るのか。経済を止めることによってどれくらいの被害の大きさを防げるのか。逆に経済を動かすことでどれくらいの大きさの被害が出るのか。その大きな被害をどこまで許容できるのかを考えるのです。
 これは今の被害だけでなく近い将来の予測の被害の大きさが必要になります。その予測が正しいのかという点が気になりますが、それについては次の段階で考えます。


3 責任を決める


 最後に責任を決めます。政策が止められるはず大きなを被害を止められなかった(生んだ)ことの責任を明確にします。最終決断は政治なので国なら総理大臣、県なら都知事、自治体なら市長です。ただし、予測が間違っていた場合はその予測をした専門家の責任が問われることになるでしょう。日本は政治家と専門家の責任がはっきりしていないように見えます。専門家は予測の責任を、政治家は決断の責任を取るべきです。
 変異株など政策を決めた時点では予見できなかった事態が起きた場合も責任の大きさは多少変わることもあるでしょう。しかし、今は感染力の強いデルタ株が増えるのは明確なので、デルタ株のせいで予測が外れたという言い訳は通用しないと考えます。
 専門家が予測を立て、専門家はその予測がどれくらい当たるかに責任を持ちます。その予測を元に決断をし結果に責任を持つのは政治家なのです。


 日本の今までのコロナ対策は分科会の医師が前面に立って決断したかのようになり、やがては政治の決断の舞台から退場させられました。「今が踏ん張りどころ」と何度も言われ、その時その時の政策がうまくいったかどうかが全く不明なまま同じことが繰り返されています。

 コロナ禍の日本の政策に足りないのは評価する為の基準です。どうだったらうまくいかないといえるのかを決め、うまくいかなかった時は誰の責任なのかを明確にすることが今必要だと考えます。それは必ずしもちゃんと合っていることが必須なわけではありません。不確かであってもそれを決め、それによって政策がうまくいったかどうかを一応でも決めることが大事なのです。

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