『カメラを止めるな』と『桐島、部活やめるってよ』は日本二大ゾンビ映画だ!
日テレで地上波ノーカット放送がされる『カメラを止めるな』。この映画の良さを語るにはもう一本の日本ゾンビ映画『桐島部活やめるってよ』について語るのが一番伝わりやすい。
え? 桐島はゾンビ映画じゃない? その問いにも答えながら両映画の魅力を語りたい。
『桐島部活やめるってよ』は高校の花形人物の桐島が部活をやめるらしいという噂を元に、様々な生徒を描いた群像劇小説の映画化なのだが、映画化するにあたって、オリジナルのゾンビ映画を自主制作する高校生が主役格として出てくる。
原作は立ち位置みたいなものだったり閉塞感だったりという高校生社会の気持ち悪さを描いているものだと感じたが、確かにそれはジョージ・A・ロメロのゾンビのテーマと通じるところがある。自分の選択なんかなくただただ傷つけあって生きているような社会をメタファーとして描いたものがロメロのゾンビ映画だ。
ゾンビ映画を撮る前田君。ラスト間近でそういったゾンビ的なものを同級生達に見た彼は反射的にカメラを回し、自分のゾンビ映画の中にそれを組み込もうとする。彼は叫ぶ。「カメラを回せ!」と。
実はこういう生の衝動こそがゾンビの対局にあるものだと思う。
これで『カメラを止めるな』と『桐島、部活やめるってよ』の関係が分かっていただけたと思う。片や「カメラを止めるな」、片や「カメラを回せ」。
※ ここからカメ止めのネタバレです。
『カメラを止めるな』は生放送で短編ゾンビ映画を撮って放送するという無謀な試みに挑む人々を映画化したものです。最初の30分はそのゾンビ短編の映像が流れ、次の30分でゾンビ映画生放送までのいきさつが語られ、最後の30分がゾンビ映画撮影をリアルタイムで裏側を描いていく。
ゾンビ映画のワンカット撮り生放送という無謀な試みに悪戦苦闘する姿に不思議な充実感を感じる映画だが、これも『桐島』の前田君と同じく生の衝動に溢れている。
ゾンビ映画は死者であるゾンビをメタファーとして自分の意思で生きていない人間や社会を描くことがある。そういった死の対極にあるのは、生き生きとした生の感情だ。
『カメラを止めるな』も『桐島、部活やめるってよ』もゾンビを一つの仕掛けとして、死の対局である生を描いている。両作品とも劇中に本物のゾンビは出ていないが、優れたゾンビ映画なのである。